なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2008.11.24更新

11月24日  森光子の「放浪記」

 私のこの拙いブログでも読んでいただける方があるようで、最近更新してなかったためか「体調でも悪いんですか」と心配していただいた(ありがたいことです)。たまたま取り上げるネタが少なく、体調のほうはすこぶるよかったのだが(メタボの方はどうしようもないが)。今日は名古屋・栄の「中日劇場」へ私の父と家内の母の4人で行ってきたのでその報告を。

 「放浪記」は尾道より上京した作家・林芙美子の自伝的小説で、これを女優・森光子が1961年に東京の芸術座で初上演して何と47年になるという大変な舞台である(1961年というと私が9歳の時である)。前から一度観たいと思っていたのだが、今回中日劇場では4度目となるこの公演のチケットがとれたので出かけることとした。今年東京を皮切りに福岡、大阪などを経て名古屋で最終となる全国ツアーを今回見なければ次はいつになるかというのが大きなきっかけであった。森光子さんといえば外観は若く見えるのだが、年齢は大正13年生まれ(84歳)の私の父を上回っているのだ。開場前からもさすがにすごい人の列で、行商人の子として生まれた林芙美子の貧しい少女時代から上京してからの女流作家としての奔放な生活などを見事に森光子が演じていた。
 たださすがにあの有名な「でんぐり返し」はなく(お年から言えば当然だが)、セリフにもやや「ろれつの回らない」部分があった。それでも森光子らしい味わいを感じたが、職業柄私たちが感じたのは「ひょっとすると軽い脳梗塞か?」ということだ(森さん間違っていたらごめんなさい)。女流作家として成功した林芙美子が徹夜の連続で疲れきって一人で机にうつ伏せで寝入る姿が最後の場面であった。「やっぱり孤独なんだね」というのは芙美子のもと同僚の女流作家である(この女優が山本陽子であることを後で知った)。この舞台をみていて林芙美子と森光子の人生が重なってみえるような気がした。作家と女優という違いはあるものの「小説や舞台に命をかける」という鬼気迫るものを感じたのは私だけであろうか。
 この舞台を最初に手がけた劇作家・菊田一夫がまだ若い学生として登場していたのは私たちの知らないことであった。そして今年がその菊田一夫の生誕100年に当たることも。また脇役(準主役)の「山本学」「米倉斉加年」といった顔ぶれも懐かしかった(若い方はご存知ないかと思うが)。不器用であっても情熱をもって生きることの「つらさ」「悲しさ」と「美しさ」を思い出させてくれる舞台であった。森光子さんにはこれからも活躍していただきたいと願っている。

花の命は短くて苦しきことのみ多かりきー林芙美子


投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.11.03更新

11月3日 いるか島めぐり

宿の朝食も魚など豊富でおいしかった。「たこ飯」もなかなかの味わいだ。そういえばここの地名は畔蛸(あだこ)というくらいだから、蛸には縁があるところなのだろう。この地名は北條時頼の詠にもでてくるようなので歴史的にも古いところのようだ。食後清算の際松村荘の女将と話したところ息子さんが名古屋に住んでいたり、姪御さんが名古屋の某大学病院で小児科の看護師として働いているとのことで話がはずんだ(この姪御さんと私は顔をあわせているかもしれない)。宿のマイクロバスで鳥羽まで送ってもらう。途中パールロードを経て展望台に寄ってもらう。あいにく天候はよくなかったが、海や島々が見渡せてなかなかの景色だ。ここに地元出身の歌手「鳥羽一郎」と「山川豊」の記念碑があった。「兄弟船」ではなくて「兄弟酒」の歌詞(船村徹)が巨大な石碑に刻まれている。この兄弟は鳥羽(石鏡)出身で有名人である。

鳥羽の佐田浜港より観光船で「いるか島」に向かう。この島は日向島というが、いるかに形が似ているのでこの名前がつけられたという(いるかが多いからというわけではないようだ)。「いるかショー」と「あしかショー」がこの島の2大イベントである。後者を見るためにリフトで上り下りするが、下りの景色がスリルもありなかなかだ。夏には海水浴場になっている海岸が美しい。ここではなぜか魚(鯖?)が飛び跳ねていて海面から突然姿を現し、子供達は大喜びだ。島の中にある「ヒルトン食堂」(この名前の由来は明らかでない)で昼食後、船で鳥羽に戻る。買い物(おみやげ)のあと近鉄で名古屋に戻る。クリニックとしては最初の一泊旅行であったが、天候もまあまあで海の幸も楽しめた。なによりも子供達が初めての体験などで、いろいろ楽しんでくれた(時には泣いたり)のがこの旅の大きな成果だったかもしれない。

なごやかこどもクリニック
朝松村荘を発つ

なごやかこどもクリニック
いるか島のリフトを下る

なごやかこどもクリニック
いるかショー(イルカはどこにいるか?)

なごやかこどもクリニック
遊覧船:佐田浜港

なごやかこどもクリニック
近鉄で名古屋に帰る(ちびっこ4人組)

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.11.02更新

11月2日 鳥羽旅行

クリニックのスタッフで初めてとなる一泊旅行。大人8名、子ども5名の総勢13人で「近鉄名古屋駅」を出発。スタッフの子どもたちの中には前夜興奮のあまり寝られなかった子もあったようだが、昼前に鳥羽に無事到着。荷物をコインロッカーに預け「鳥羽水族館」に歩いて行く。有名な水族館なので説明する必要もないが、「ジュゴン」や「ラッコ」などが有名で人気者だ。「ジュゴン」は南方の海洋に生息し海草類を主食とする哺乳類で、「人魚」のモデルとしても有名である。人工の環境で飼育するのは難しいようで、このように長期間水族館で活動しているのはここくらいではないのだろうか。「ラッコ」の愛くるしい仕草に子ども達も大喜びだ。またバランス感覚の優れた「アシカショー」も堪能する。とにかく天気もよく快適な旅行初日であった。

水族館を十分楽しんだ後、今日の宿泊先の民宿「松村荘」にマイクロバスで向かう。住所は鳥羽市であるが的矢湾に面した海岸線にある民宿で、採りたての牡蠣や海の幸を食べさせてくれるということで予約した宿である。予想したように小ぢんまりした2階建ての宿だが、ご主人などが温かく迎えてくれる。家庭的な風呂にはいったあと夕食となる。さすがに伊勢えびや数々の海の幸が並ぶが、このあたりの海でとれる「岩牡蠣」が圧巻だ。味噌味、クリーム味もよかったが、そのまま焼いたもの(焼き牡蠣)の天然の香りが最高である。この牡蠣を食べない人がスタッフの中に意外と多く、その分が私の胃袋にはいってしまった。いつも夫婦二人で食事をしている私たちには、まさに「大家族の賑やかな夕食」のような時を過ごし大変楽しかった。子どもも多いため皆各自の部屋に戻り、早々の就寝となる。私たちの部屋ではその後も3、4人で酒盛りが続いたことはもちろんである(といっても昔のように朝までとはならないが)。

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニックへ!
鳥羽水族館

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニックへ!
アシカショー:鳥羽水族館

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニックへ!
ジュゴン: 鳥羽水族館

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニックへ!
夕食 海の幸(中央奥が牡蠣 )

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニックへ!
大家族の夕食?


投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.11.01更新

11月1日  地下鉄大曽根駅

本日地下鉄「大曽根駅」(名城線)のホームに「なごやかこどもクリニック」の電照看板が取り付けられた。大曽根から栄方向の壁の以前中日新聞の広告のあった場所だ。これまで希望しながら、なかなか空かなかった場所である。大曽根駅で乗り降りされる方は是非ご覧下さい。 。
名古屋の小児科はなごやかこどもクリニックへ! 地下鉄「大曽根駅」ホームの電照看板(大曽根から栄方 面)

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.10.28更新

10月28日  さよならBe Vapp

前にも紹介したジャズバー:Be Vapp がこの日で最後の営業となった。榊原洋子、佳川夏己のボーカルに高橋朝道(Sax),武藤祐志(Gt)といったおなじみのメンバーに加え、数々のミュージシャンが飛び入りで賑やかなライブとなった(ある有名なピアニストも飛び入り演奏)。私も夜の外来終了後、家内や友人とともに顔をだす。またいつもの常連さんのMさん、Iさんなど多くでほとんど満席状態である(といっても15人くらい)。これに対して出演者が約10人という豪華さ(いかにもBe Vappらしい)。数々のJazzの演奏の間も、それぞれの会話がはずむ。ここでは私も含め客もミュージシャンとは友達といっていいくらいの間柄である。最近結婚したばかりの榊原洋子とは食事や呑みにいったりと、子どものいない私たちには娘のような存在である。とにかく楽しいBe Vapp 最後の夜であった。オーナーママ(川口静代)は聴くのが専門で通常歌わないが、この日は最後にジャズ、シャンソンなどを歌った。

このママは私とほぼ同世代で、この店を名古屋の錦(テレビ塔西)に開いてちょうど20年となる。小さな店ながら地元でまだ無名のミュージシャンを働かせながら、育てて(鍛えて)きた。以前紹介したようにこの店から、Keiko Lee(リーケイコ)・司いつこ・森久子そして榊原洋子といったジャズボーカリスト、シャンソンの「かとうえいこ」といった実力派の女性歌手が世にでたのである。高橋朝道君もまだプロになったばかりであるが、年に似合わぬ落ち着いた渋いSaxの演奏はこれからの成長が楽しみである。私は米国留学から帰国した平成3年の夏にこの店に初めて来たので、約17年通ったことになる。国立名古屋病院(現名古屋医療センター)、上飯田第一病院そして現在のクリニックから帰宅の途中にこの店があり、楽しいとき、苦しいときここでの音楽とお酒(フォーローゼス)で癒されたものである。このいろいろな思いでがつまった店がなくなってしまうのは残念なことだが、来年春頃にはまた別の場所でこの店が復活することを願っている。
名古屋の小児科はなごやかこどもクリニック
高橋朝道(Sax)と榊原洋子

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニック
店の前で

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニック
佳川夏己

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニック
榊原洋子と上條隆司・浩子

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニック
ほぼ全員集合

名古屋の小児科はなごやかこどもクリニック
オーナーママ(川口静代): 泣いているわけではありません?

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.10.04更新

10月4日   境港と「ゲゲゲの鬼太郎」

 今日は学会最終日。朝から成長、甲状腺、骨代謝などの口演があった。昼のランチョンセミナーは、近く日本でも開始されるSGA児(低出生体重児)に対する成長ホルモン治療についての話であった(国立成育医療センター 堀川玲子先生)。午後からは昨日に続いてポスターセッション。名古屋のT先生が症例報告(思春期早発症を伴ったクラインフェルター症候群)を行った。他にも興味深い症例報告が多かった。
この後会場をあとにして、T先生と境港に向かう。米子駅からJR境線で1時間弱で境港駅に着く。この列車は1両で走り、鬼太郎、ねこ娘などキャラクターの名前を冠した「鬼太郎列車」である。各駅停車で終点の鬼太郎駅(境港駅)まで各駅に妖怪の愛称が付いている。この境港は古くからの港町であるが、あの「水木しげる」の出身地としても知られている。境港駅から「水木しげる記念館」までの商店街が「鬼太郎ロード」(約800m)と呼ばれている。この道沿いに各種妖怪のブロンズ像が並び、私の知らないものも多かった(約133体)。記念館では水木しげるの経歴や多くの作品が展示され、あっという間に時間が過ぎる。太平洋戦争で左手を失った水木氏が戦場でさまよっていたときに、妖怪の「ぬり壁」のため前に進めなかったという話などもあり、戦争の悲惨さも伝わってくる。思った以上に「鬼太郎」を楽しめた。
PM7時発の飛行機に乗るため境港駅から「鬼太郎列車」で空港駅に向かう。ところがなぜか空港駅を乗り過ごしてしまい、次の駅でかろうじて降りる。この無人駅からタクシーを呼べたので、何とか飛行機の出発に間に合った。これは「まだ名古屋に帰るなよ」という妖怪のわざだったか、あるいは我々が単にぼけていただけか?。名古屋へ向かう何名かの小児科医とともに米子空港を時間どおり出発し、約1時間でセントレア空港に無事着陸。内容も豊富な学会で、食事(酒)・観光も楽しめた。いつかこの温泉も豊富な鳥取・島根にゆっくりと訪れたいものだ。この学会の準備をしていただいた神崎教授をはじめ鳥取大学小児科のスタッフの皆さんに感謝したい。
鬼太郎列車(ねずみ男)
鬼太郎列車(ねずみ男)

米子駅
鬼太郎列車(米子駅)

水木しげる記念館
水木しげる記念館

鬼太郎
鬼太郎

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.10.03更新

10月3日  学会2日目

朝から演題発表(口演)を聞く。下垂体、性腺などの興味深い発表が多い。昼のランチョンセミナー(昼食をとりながら講演を聞く)に参加。「男性不妊(性腺機能低下症)のホルモン治療」というかなり専門的な内容であるが、こういった患者さんの診療をしている私にとっては参考になる講演であっつた。その後ポスターによる発表。その後夕方まで各種講演が続く。中でもイスラエルのホッフバーグ教授の小児の成長をヒト以外の動物と比較した講演は、これまでにない観点から成長を捉えたものであり新鮮であった。この後会場近くのホテルで懇親会となる。会長の神崎晋教授の挨拶に続いて賑やかなパーティとなる。ここでもやはり山陰の海の幸が豊富にそろえられていた。

学会にて
学会場にて

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.10.02更新

プロペラ機で米子へ


小児内分泌学会に出席のため中部国際空港(セントレアー)より米子へプロペラ機で飛ぶ。プロペラ機に乗るのは多分これで2回目だと思う。名古屋から出席する小児科医数名と同じ機に乗り込む。心配されていた台風も去り快晴の空を約1時間の飛行でほぼ正午に米子空港に到着。着陸時には機体のゆれがかなりあり、予想していたこととはいえかなりスリリングな飛行であった。バスで会場まで移動する。参加登録を済ますとPM2時過ぎより学会が始まる。今回の会長は私の旧知でもある鳥取大学医学部小児科の神崎晋教授であるが、演題数も多く魅力的なプログラムが組まれている。
山陰地方へは今まで来る機会がなく、今回が初めてとなるため楽しみにしていた。米子は人口約15万人の山陰地方では最大の都市で、商業などの盛んな街で「山陰の大阪」と呼ばれているようだ。夕方名古屋から出席のT先生、I先生と食事に出る。宿泊している「全日空ホテル」からタクシーで数分の繁華街を少し過ぎたところにある「匠(たくみ)」という居酒屋・割烹料理店にはいる。日本海に面した街のため海の幸は多い。山陰といえば松葉蟹だが、まだ時期が早かったようで食べられなかったが、普通の蟹(紅ずわい蟹)が出てきてこれでも十分おいしかった。各種刺身や「のどぐろ」も味は絶品であった。この地方で有名なお酒「諏訪泉:鳥取県八頭郡」があったので注文する。大吟醸「鵬(おおとり)」は米の旨味を残し丸みのある味わいである。私の好みとはやや異なるが、良いお酒であることは間違いない。お酒を飲まないI先生に代わり私とT先生で「鵬」の7合壜を空ける。その後この店の大将に紹介してもらった近くの「寛ぎ」というスナックに3人で移動。ママさん一人でやっているこじんまりした店で、飲んだり、歌ったりと楽しく過ごす。名古屋ではカラオケの置いてあるスナックは少なくなってきたので懐かしい。地元のお客さんが来ていて、米子の話などいろいろ聞かせてもらった。なぜか名古屋の喫茶店の話が出て、ボリューム満点の名古屋の「モーニング」には米子の人は驚いていた(そうそう米子ではあまり喫茶店を見かけないことが話のきっかけだった)。米子の最初の夜はすっかりくつろいでしまった。

紅たらば蟹
紅ずわい蟹
お刺身
山陰の海の幸
大吟醸『鵬』
諏訪泉 大吟醸 「鵬」
スナックにて
スナック「寛ぎ」にて  上條、T先生、I先生

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.09.04更新

味噌串かつとジャズ:jazz inn LOVELY

前回このブログで紹介した榊原洋子のライブが栄のLOVELYであったので私と家内、友人2人の計4人で出かける。この店は混んでいることが多いのだが、この日は適度な混み具合。PM8時過ぎよりライブが始まる。メンバーは彼女との共演も多いピアノの後藤浩二さんと、ベースの島田剛君だ。後藤さんはその風貌とは似つかぬ(失礼)流麗なピアノ演奏で名古屋東海地区では最も評価されているピアニストの一人であると思う(南山大学出身)。島田君は安定したベースでは定評がある(以前クリニックで洋子ちゃんと共に演奏してもらった)。彼女はjazzの古いナンバーから新しいものまで、いつものように堂々と歌いあげる。この日はRay Charlesの曲を何曲か歌うRay Charles(1930-2004)はアメリカを代表するといってもいいピアニスト、作曲家、歌手として知られ、jazz以外にblues, country, soulなどあらゆるジャンルで活躍した音楽家である。「Georgia On My Mind」「Hit the Road Jack」などが日本でも有名である。洋子ちゃんが歌う「Georgia On My Mind」はなかなかのもので、日本の女性ボーカリストでこれだけの声量で歌える人は他にいないだろうと思う(アメリカの黒人女性ボーカリストならありうる)。アメリカ南部(テネシー)に2年住んでいた私たちには特に懐かしい曲である。2人の友人はLOVELYは初めてで彼女の歌も店にも感激してくれたようである。2回のライブのあと洋子ちゃんと我々で歓談(というか一緒に呑む)。皆で楽しんだ後店をでたらもう深夜0時近くだった。
さて
LOVELYだが、名古屋でjazzを好きな人なら知らないひとはいないくらいの店だが、簡単に紹介しておこう。オーナーの河合勝彦さんによって1970年にジャズ喫茶として栄ウオーク街(かつての女子大小路)に誕生した。1976年に現在の東桜に移転し、ライブを中心とした店として活動を開始した。当時名古屋にもjazzのライブをする店は少なく、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔いった錚々たる人たちや、海外からのミュージシャンの演奏も行っていたようである。現在は地元のミュージシャンを中心にライブを行っているが、ここからスタートして全国的に名を知られるようになった人も少なくない。やはり前回このブログで紹介したKeikoLee(リーケイコ)もその一人である。すぐ近くに「串かつラブリー」があり、演奏前に立ち寄るのも楽しみである(この日は込んでいて入れなかったが)。「味噌串かつとJazz」名古屋らしくていいではないか!

左:jazz inn Lovely 名古屋市東区東桜1-10-15 TEL052-951-6085
NHKビルより北へ桜通りに向かって徒歩1-2分
右:榊原洋子 LOVELYの前で

後藤浩二(ピアノ) 島田剛(ベース)

客席

歌う榊原洋子

ピアノの前の榊原洋子

投稿者: なごやかこどもクリニック

2008.08.13更新

ジャズバー BE VAPP


名古屋のテレビ塔の近く(たての街B2)にあるこの店に通い始めて十数年になる。ここでは土曜を除いて毎晩ジャズを中心としたライブをやっている(PM9時ころより)。私もクリニックで夜の外来を終えて、地下鉄名城線で家(川名)に帰る途中ここに立ち寄ることが多い。今日は女性トランペッターである西崎佳代子さんが中心のライブである。いつものように地下鉄「久屋大通」駅を降りて2,3分のこの店にはいると常連のMさんなどがカウンターで呑んでいる。西崎さんと高橋朝道君(AltoSax,武藤祐志さん(Guitar)が練習(音あわせ)をしている。この店は小さな規模でカウンターとボックスに15人も入ればいっぱいになってしまうが、その分演奏者から近く音もダイレクトに伝わりどの席も一等席といえる。ジャズナンバーも含めいくつかの曲を聴かせてもらう。西崎さんはもともとクラシックのトランペット演奏家であるが、このところJazzで活動をしている。高橋朝道君もある意味異色の若手Sax奏者ともいえる。今年名古屋大学工学部を卒業したのだが、就職の道を選ばずプロの音楽家(JazzMusician)をめざしている。武藤さんはギターを教える先生でもあるが、今日の演奏のリーダー格である。トランペットとサックスといえば日野皓正と渡辺貞夫がいるなー(こちらは大御所だが)。西崎さんと朝道君もこれから更にいい音楽を聴かせてくれるだろう。
BeVappのオーナーママ(川口静代さん)は名古屋のJazz界では有名人で、これまで無名の新人を多く発掘しプロとしてデビューさせるきっかけをつくっている。かとうえいこ(シャンソン歌手)をはじめ司いつこ、Keiko Lee(リーケイコ)といったJazzVocalisitがこの店からスタートしたといってもいいだろう。リーケイコさんは今では全国的に知られ、ニューヨークでレコーデイングするような歌手となったが、彼女がまだ無名なころこの店で歌っていたのをつい最近のように思い出す。この店の出身で最近実力を伸ばしているのが榊原洋子である。彼女の歌を始めていたとき、日本人ばなれしたその声量とスケールの大きさに驚いたものである(歌自体の洗練度はまだ今ひとつであったが)。洋子ちゃんは私たち夫婦と同じ三河出身ということもあって、個人的にも親しくさせてもらっている(というより彼女もかなりのお酒好きで、呑み仲間といったほうがいいか)。彼女は「A  house is not a home」というデビューCDをつくっている。
月に2,3回訪れるこの店は、ママをはじめお客さん、ミュージシャンもほとんど顔なじみでわたしにとってほっと一息つけるところである。バーボンを飲みながら彼らの音楽を聴いていると、多少の仕事の疲れも吹き飛んでしまう。やはりこの店で歌うVocalistの佳川夏己さんの言葉。「貴方が、名古屋は栄テレビ塔横のたての街地下2階にBEVAPPをみつけたらラッキーだ。是非行ってみて欲しい」

BE VAPP: 名古屋市中区錦3-6-15たての街B2  TEL052-962-1553

榊原洋子、ママ(川口静代)と常連さんお二人

西崎佳代子、高橋朝道、武藤祐志

西崎さんは1児の母でもあります。長女の彩華ちゃんは私どものクリニックに遊びに(予防注射)に来ます。

左:8月6日のライブ「榊原洋子と武藤祐志」
右:8月13日ライブ「佳川夏己 、高橋朝道、武藤祐志」

投稿者: なごやかこどもクリニック