2009.04.26更新
4月26日(日) 萩原朔太郎
昨日は天候に恵まれなかったが、今日は晴天である。内分泌学会は昨日で終了し今日は前橋市内を観光する。前橋市は群馬県の県庁所在地で市内を利根川が流れ「水と緑の町」として知られている。この町が詩人の萩原朔太郎の生まれ故郷であることは、こちらに来て初めて知った。朔太郎といえば大正・昭和期の「口語自由詩」を確立した詩人として高村光太郎とともに知られている。その詩は教科書にも載っていて、確か高校生のころ読んだ記憶がある。ホテルからタクシーで20分程で朔太郎の生家の一部を残した「朔太郎記念館」に行く。彼の父親は地元で有名な開業医であったようで、生家の見取り図を見ると診察室から病室まである。彼が詩作とマンドリンの演奏をした部屋(味噌蔵を改装)や蔵の中の遺品、北原白秋などが泊まったという離れなどを見る。この記念館は公園の一部にあり、まだ季節前であるがバラ園も訪ねる(バラの歴史などの展示が興味深い)。
タクシーで市内に戻り、前橋文学館を訪れる。ここは記念館より規模が大きく、朔太郎の他にこの地の出身の詩人、作家などの紹介もされている。北原白秋(東京)や室生犀生(金沢)なども時々前橋を訪れたようである。彼の代表作である「月に吠える」や「青猫」の初版本や、生の原稿なども展示されている。彼の詩には近代人特有のの「孤独」あるいは「漂泊」といった印象がいつもつきまとっているように感じていたが、「音楽家を目指して東京に出るが夢はかなわず帰郷する」といった生い立ちを知ると背景がわかるような気がする。前橋という町は文学の町でもあることを実感した。
午後高崎から上越新幹線で東京に戻り、名古屋には夕方到着。今回もあわただしい旅であったが、O先生との再会や前橋を知るよい機会であったと思う。
投稿者: なごやかこどもクリニック
2009.04.25更新
4月25日(土) 前橋市
朝東京駅より上越新幹線で高崎まで約1時間。普通列車に乗り換えて数分で「新前橋」駅に到着。今日の天気はあいにく雨である。参加登録を済ませ会場へ。一般口演を聞いたあと、午後のポスター発表へ。何人か知り合いの先生と会う。クリニカルアワー「バセドウ病と無痛性甲状腺炎の新しい鑑別法」に参加する。日本を代表する甲状腺治療の専門病院(東京、神戸)からの報告があった。カラードップラー法で甲状腺内あるいは近くの動脈の血流を測定し、バセドウ病では血流量の多いことが診断のポイントであるとのことであった。
この後群馬大学小児科出身で現在は島根医大小児科に所属するO先生と再会。会場で待ち合わせO先生の行きつけの居酒屋へ行く。この店は和風$フランス風居酒屋という感じで特に鮮魚が豊富であった。また日本酒が多く揃っていて、酒飲みの私には嬉しい店である。日本各地からの珍味が集まり、「馬刺し」も美味であった。店主の山本さんは釣り好きで、三重県まで渓流釣りに行くとのことであった。O先生はこのあと高校の同窓会があるため、約1時間この店「ビストロ マソウーマソウ」にて歓談。このあとやはりO先生のお勧めの店でバーボンなどを飲みホテルに戻る。
投稿者: なごやかこどもクリニック
2009.04.24更新
4月24日(金) 第82回 日本内分泌学会(群馬)に参加
名大病院小児科の内分泌外来を終了して、PM3時すぎに名古屋を出発し本日は東京で宿泊し、明日前橋(群馬)に向かう予定。東京ではこのところよく泊まる赤坂のホテルに夕方到着。赤坂には「まつい」というまだ開店して1年を過ぎたばかりの鮨屋さんがある。ご主人は品川にある「たかはし」という鮨屋に勤めていて最近独立された。カウンター数席とテーブルが2,3席というこじんまりした店だが、江戸前の正統派で工夫を凝らした鮨が実にいい。今日は東京の大学をこの春卒業して、公認会計士を目指す甥(妹の長男)と二度目の来訪となる。カウンターが満席のため、今回はテーブル席となったが鮨の味には変わりない。「まつい鮨」を堪能して、以前よく行っていた店に寄る。ここは赤坂でも古いほうの店になるようで、内装もクラシックである。ママさんもややクラシックであるが(ごめんなさい)。またいわゆるギター弾き(後藤さん)がいて、この人のギターに合わせて歌うのが心地よい。昭和30年から40年代にかけてこのスタイルの店が多かったようだが、今はほとんどないと思われる。いつものことながら調子にのって数曲歌ってしまった。甥にとってははじめての経験だったようだ。甥をタクシーに乗せ、ホテルにもどる
投稿者: なごやかこどもクリニック
2009.04.19更新
4月19日(日) 久しぶりの奈良
朝京都より近鉄で約35分奈良へ向かう。近鉄奈良駅から会場(奈良県立文化会館)までは徒歩で。会場では小児内分泌で知り合いの小児科医(京都、東京など)に会う。名古屋からの医師も何人か来ていた。学会参加は午前中のみ短時間で済ませ(学会長には申し訳ありませんが)、奈良の観光に移る。「奈良」といえば小学校の修学旅行で来て以来となる。ということは、四十数年ぶりに訪れるということになる。名古屋からのドクターとまず近場を回る。「人力車」に初めて乗ってみたが、天気もよく風も心地よい。さすが奈良だけあって鹿が多い(約1200頭くらいいるらしい)。まず「奈良国立博物館」に向かう。ちょうど「鑑真和上」展がひらかれていて、実物の「鑑真」像をみる。思っていたより小さな木像であるが、その柔らかな表情などまるで生きているようで、とても1000年以上前の作品とは思えない。「鑑真」といえば50代半ばで日本への渡航を志し、数回の失敗ののち盲目となりながらも日本に上陸したことはあまりに有名な話である。あの当時その年代で難破の可能性も高い日本への渡航を目指すというのは、命がけの途方もないことであったに違いない。現代だとさしずめ人類が月をめざすくらいのことであっただろう。そのころの「鑑真」はちょうど今の私と同じくらいの年代である。この「鑑真像」をみて私もまだまだ頑張れるぞと思った(体はやや疲れ気味であるが)。その後の日本の仏教の発展を考えると、この「鑑真」の来日と「唐招提寺」の建立は歴史上も重要なことである。最近の日本の仏教が元気のないように思えるのが残念であるが。この博物館より歩いていけるところに「東大寺」がある。聖武天皇により創建されたこのお寺はさすがにスケールが大きく、いわゆる「奈良の大仏」も巨大である。図体が大きい分、他の仏像と比べると全体に大雑把に感じる(大仏様ごめんなさい)。
次に奈良国立博物館のすぐ隣りにある「興福寺」を訪れる。奈良時代(平城京)に藤原氏の氏寺として西暦714年に金堂が創建されたという歴史をもつ「興福寺」。あの少年のような顔立ちの「阿修羅」像が有名であるが、今は東京国立博物館に出展されていて残念ながら見ることができなかった。だがさすがに歴史のあるお寺だけに、「千手観音像」など教科書に載るような仏像が数多く展示されていた。興味深かったのは「聖徳太子 二歳像」である。このような像があることを知らなかったが、その姿(体形)は確かに2歳児の特徴を備えている。修学旅行の学生さんが多くみられた。このあとJR奈良駅より「法隆寺」駅まで行き、世界最古の木造建築である「法隆寺」(世界文化遺産)を訪ねる。小学校時代に一度きているはずだが、ほとんど記憶にない。推古天皇と聖徳太子が西暦607年に本尊の「薬師如来」を造られたのがこの「法隆寺」(斑鳩寺)の始まりのようだ。教科書に出ている仏像など(玉虫厨子など)が数多くあるこの寺でも「百済観音像」はひときわ輝きを放っている。日本の多くの仏像とちがって、八頭身のすらりとした姿と慈悲深い表情はいくら見ても見飽きない美しさである。法隆寺には当然のことながら聖徳太子の像や肖像画などが多く展示され、「二歳時」と「7歳時」の像があった。今日はかなり暖かく、「法隆寺駅」へ向かうバスを待つあいだに食べた「柿」ならぬ「抹茶」アイスが妙に懐かしい味であった。近鉄奈良駅より京都を経て新幹線で名古屋に戻るともう夜となっていた。
「鑑真和上 坐像」 鑑真展
ホームページより
投稿者: なごやかこどもクリニック
2009.04.18更新
4月18日(土) 第112回 日本小児科学会(奈良)
17日(金)から始まった、小児科学会に参加した。といってもクリニックをあまり休めないため、18日(土)の午前中の外来を済ませてからPM3時過ぎの新幹線で京都に向かう。奈良で宿がとれなかったため、今日は京都に泊まる。夜は祇園にある「鮨 まつもと」という比較的新しい鮨屋さんに行く。ご主人によるとこの店は開店してまだ数年程度とのこと。ご主人は東京で修行したため鮨は「江戸前」である。こはだ、蛤、赤貝など「ねた」は新鮮で味は一級である。京都で「江戸前」鮨を食べるというのもなかなか面白い。奥さんも愛想よく、祇園という場所からくる敷居の高さを感じさせない。ご主人の出身は京都ではなく、神奈川とか言っていたので、それも関係するのかも知れない。ただ日本酒が2種類しか置いてなかったのが、酒飲みの私としてはやや残念であった。そのあと鴨川沿いにあるバーと、八坂神社近くにあるJazz Barでカクテルなどを飲む。後者の店は昨年だったか京都の学会に来た折に、トヨタ記念病院の若手小児科医たちと呑んで以来で懐かしい。京都駅近くのホテルに泊まる。
投稿者: なごやかこどもクリニック