なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2009.04.19更新

4月19日(日) 久しぶりの奈良

朝京都より近鉄で約35分奈良へ向かう。近鉄奈良駅から会場(奈良県立文化会館)までは徒歩で。会場では小児内分泌で知り合いの小児科医(京都、東京など)に会う。名古屋からの医師も何人か来ていた。学会参加は午前中のみ短時間で済ませ(学会長には申し訳ありませんが)、奈良の観光に移る。「奈良」といえば小学校の修学旅行で来て以来となる。ということは、四十数年ぶりに訪れるということになる。名古屋からのドクターとまず近場を回る。「人力車」に初めて乗ってみたが、天気もよく風も心地よい。さすが奈良だけあって鹿が多い(約1200頭くらいいるらしい)。まず「奈良国立博物館」に向かう。ちょうど「鑑真和上」展がひらかれていて、実物の「鑑真」像をみる。思っていたより小さな木像であるが、その柔らかな表情などまるで生きているようで、とても1000年以上前の作品とは思えない。「鑑真」といえば50代半ばで日本への渡航を志し、数回の失敗ののち盲目となりながらも日本に上陸したことはあまりに有名な話である。あの当時その年代で難破の可能性も高い日本への渡航を目指すというのは、命がけの途方もないことであったに違いない。現代だとさしずめ人類が月をめざすくらいのことであっただろう。そのころの「鑑真」はちょうど今の私と同じくらいの年代である。この「鑑真像」をみて私もまだまだ頑張れるぞと思った(体はやや疲れ気味であるが)。その後の日本の仏教の発展を考えると、この「鑑真」の来日と「唐招提寺」の建立は歴史上も重要なことである。最近の日本の仏教が元気のないように思えるのが残念であるが。この博物館より歩いていけるところに「東大寺」がある。聖武天皇により創建されたこのお寺はさすがにスケールが大きく、いわゆる「奈良の大仏」も巨大である。図体が大きい分、他の仏像と比べると全体に大雑把に感じる(大仏様ごめんなさい)。
  次に奈良国立博物館のすぐ隣りにある「興福寺」を訪れる。奈良時代(平城京)に藤原氏の氏寺として西暦714年に金堂が創建されたという歴史をもつ「興福寺」。あの少年のような顔立ちの「阿修羅」像が有名であるが、今は東京国立博物館に出展されていて残念ながら見ることができなかった。だがさすがに歴史のあるお寺だけに、「千手観音像」など教科書に載るような仏像が数多く展示されていた。興味深かったのは「聖徳太子 二歳像」である。このような像があることを知らなかったが、その姿(体形)は確かに2歳児の特徴を備えている。修学旅行の学生さんが多くみられた。このあとJR奈良駅より「法隆寺」駅まで行き、世界最古の木造建築である「法隆寺」(世界文化遺産)を訪ねる。小学校時代に一度きているはずだが、ほとんど記憶にない。推古天皇と聖徳太子が西暦607年に本尊の「薬師如来」を造られたのがこの「法隆寺」(斑鳩寺)の始まりのようだ。教科書に出ている仏像など(玉虫厨子など)が数多くあるこの寺でも「百済観音像」はひときわ輝きを放っている。日本の多くの仏像とちがって、八頭身のすらりとした姿と慈悲深い表情はいくら見ても見飽きない美しさである。法隆寺には当然のことながら聖徳太子の像や肖像画などが多く展示され、「二歳時」と「7歳時」の像があった。今日はかなり暖かく、「法隆寺駅」へ向かうバスを待つあいだに食べた「柿」ならぬ「抹茶」アイスが妙に懐かしい味であった。近鉄奈良駅より京都を経て新幹線で名古屋に戻るともう夜となっていた。


「鑑真和上 坐像」 鑑真展 ホームページより

投稿者: なごやかこどもクリニック