なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2010.01.01更新

平成22年 1月1日 名古屋市内で初詣

  元旦は名古屋市内の神社の初詣をした。広小路沿いにあり私もよく通るのだが今まで参拝をしたことがなかった「朝日神社」を訪れる。伊勢神宮の神領(御園)として歴史のある神社で、清州の朝日郷にあっつたものが約400年前の「清州越え」で名古屋に移されたとのことである。伊勢系の神社なので当然のことながら「天照皇大神:あまてらすすめおおみかみ」を祭っている。昭和初期には名古屋市内では「熱田神宮」に次ぐ参拝者で賑わったようである。今では参拝者もそれほど多くなく、静かな神社という印象であった。 次に本町通りから少し入ったところ(袋町)にある「福生院:ふくしょういん」に向かう。ここでは「大聖歓喜天」が祭られている。ここも歴史は古く1386年ころが発祥のようで、中村の里にあったものが清州に移り更に「清州越え」で現在の地に移転したとのことだ。地元では「袋町のお聖天様」とよばれている。また「観音菩薩」なども置かれ、ここでは神と仏が共存しているという印象が強い。おそらく日本では中世からみられる「神仏混淆」のなごりであろう。「ぼけ封じ観世音菩薩」ともよばれるこの観音様にもお参りしておいた(果たして効果は?)。名古屋七福神の「毘沙門天」も祭られている。神様、仏様さらに七福神と賑やかなところであった。 


朝日神社 :名古屋市中区錦3丁目


真言宗 福生院(袋町お聖天)

 続いて「桜天神」を訪れる。名古屋市内を東西に走る「桜通り」の由来になった神社と聞いてはいたのだが、実際にお参りしたのは今回が初めてである。桜通り沿いの高層ビルの間にあるこじんまりした神社で、車で通ると見逃してしまいそうなところである。
 織田信長の父信秀が菅原道真公(845-903)を信仰し那古野城にその木像を祭ったのものが、1538年に現在の地に移されたのがその由来とされている。江戸時代に福島正則が制札を立て、加藤清正がここを本陣として名古屋城築城の指揮をとったとのことである。当時ここは桜の名所で、桜木の下に掘られた井戸が「天神の井戸」として当時名古屋三名水のひとつとされたようである。道真公はいわずと知れた学問の神であり、現在でも多くの大学などの受験生の合格祈願の札がかけられている。今回のお参りで、400年以上も前に設けられたこの神社(道真公)が受験生を通じて脈々と信仰されていることを感じた。
 名古屋城築城当時は東西南北10本の道路(碁盤割り)があり、そのほぼ中心にこの「桜天神」が位置している(桜通りと本町通りの交差点付近)。また上野天満宮(千種区)と山田天満宮(北区)とあわせて「名古屋三大天神」と呼ばれていることも今回知った。梅や桜の時期にまた訪れてみたい神社である。


桜天神 名古屋市中区錦2丁目

投稿者: なごやかこどもクリニック