なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2010.07.18更新

平成22年7月18日(日) 鞆の浦と坂本龍馬

朝ホテルを出て尾道市内を歩く。まず「おのみち映画資料館」を訪れる。この街はいくつかの映画の舞台となっているが、その中でも有名なのは小津安二郎監督の「東京物語」であろう。尾道に住む老夫婦が東京の息子夫婦を訪れるというストーリーであるが、東京の各地と尾道の街が映し出される。海に面して坂の多い尾道の昔の町並みが、のんびりとした古きよき日本を思わせる。また広島出身で社会派といわれる進藤兼人監督の映画の資料や写真が展示されていた。奥さんである乙羽信子が多く主演女優をしているが、進藤監督が広島出身であることは知らなかった。この街には歴史のあるお寺(千光寺など)も多く、志賀直哉や林芙美子など文学者ともゆかりがあるのだが、今回は時間の関係で訪れることができなかった。

午後船で尾道港を出る。「尾道―鞆の浦 海上クルージング」という約1時間弱の鞆港までの船旅で美しい瀬戸内海の風景を楽しむ。鞆の浦は万葉集にも詠まれる日本最古の港で、鎌倉・室町時代から江戸時代にかけて大いに栄えた当時としては大都市であった。港は意外に小規模だが、この港のシンボルである「常夜燈」が美しい。この港町を歩くと古い家や店舗がそのまま残っており、まるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。当然のことながら路は狭く、坂道が多い。地元の人に案内してもらい、坂道を登ったところにある「鞆の浦歴史民俗資料館」に行く。ここは昔「鞆城」のあった後ということで、ここから鞆の街と港が見渡せる。江戸時代には多くの船が行きかい、朝鮮通信使が江戸へ向かう途中この港に立ち寄り、対潮楼(福禅寺)で瀬戸内海のすばらしい眺めを楽しんだとのことである(我々は時間の関係で訪れることができなかったが)。

港に面した古い蔵を利用した「いろは丸展示館」を訪れる。坂本龍馬が西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗り込んで長崎から大坂へ向かう途中、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し、「いろは丸」は鞆港沖で沈没した(1867年4月)。龍馬は鞆の浦にとどまり紀州藩と損害賠償の交渉を行う。近年地元の調査グループが潜水調査を行い、いろは丸の部品や陶器類が引き上げられた。これらの物品がここに展示されていて、なかには古伊万里のぐい呑みなどもある(龍馬がこれで酒を飲み交わしたのだろうか)。その龍馬はこのわずか半年後京都で暗殺されることになる。短時間であるが「鞆の浦」の風景、歴史を楽しんだあとバスで福山駅へ向かう。福山から新幹線で名古屋に戻る。

今回の旅では私がこれまで訪れることが少なかった四国、山陽を歩くことができた。道後温泉に入れたのが最大の収穫であったが、聖徳太子、坂本龍馬、夏目漱石といった人物ゆかりの地をめぐる歴史の旅でもあった。鞆の浦はまた一度ゆっくり訪れたいところである。この間クリニックを休ませていただき患者さんにはご不便をおかけしましたことを、この場をかりてお詫びいたします。


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尾道駅

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おのみち映画資料館
 
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林芙美子像


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鞆の浦港の常夜燈

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歴史民族資料館(鞆城あと)から街を見渡す

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保命酒屋(太田家): ここで荷物を預かってもらった

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.07.17更新

平成22年7月17日(土) 「しまなみ海道」を渡る

朝宿を出て松山の町を散歩する。市内の移動には路面電車が便利だが、運よく「坊ちゃん電車」に乗ることができた。まず市内の勝山山頂(海抜132m)にある「松山城」を訪れる。四国最大の平山城であるが、ロープウェイかリフトで登る(こういう経験は初めてである)ことになる。この城は1602年加藤嘉明が築城に着手し、25年の歳月をかけて1627年に完成したとのことである。1635年松平定行が藩主となり、松山藩は徳川家の親藩として発展する。二の丸、三の丸のあったところは現在公園として整備されている。「春や昔 十五万石の 城下哉」と子規が詠んでいる。
ここで面白いことに気づいた。松山城は歴史的には1610年に築城された名古屋城に近く、藩の規模としては岡崎城の3倍くらい(岡崎は5万石)。名古屋(尾張)は徳川御三家の一つ(筆頭)であり、松山と岡崎は親藩(松平家)である。城を降りて「坂の上の雲ミュージアム」を訪れる。テレビドラマでも知られるようになった松山出身の秋山兄弟、正岡子規の生涯を描いた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を展示、紹介している。この後松山兄弟の生誕地にも立ち寄ってみた。明治に生きた彼らの志をうかがい知ることができた。午前中松山市内を見て歩き、昼過ぎに松山から今治へJR特急「しおかぜ」移動する(約40分)。今治から高速バス(しおなみライナー)で瀬戸内海を渡る。まず全長4.1kmと巨大な三連吊橋で美しい「来島海峡大橋」を通って大島、伯方島、大三島を通過、「多々羅大橋」を経て生口島、因島を通過、「因島大橋」を経て向島に入りここから「尾道大橋」を通って尾道市に入る。あいにく天気が悪かったが、晴れた日だったらこれらの橋と瀬戸内海の海がさらに美しかったであろう。愛媛県の今治市と広島県の尾道市を7つの橋で結ぶこの「しまなみ海道」はそのスケールも美しさも想像以上のものであった。四国と山陽を結ぶ3つのルートはよく「ムダ」といわれるが、それにしてもよくこれだけのものを作ったものだと思う。  尾道は瀬戸内海に面した歴史のある商業都市であるが、いろいろな映画の舞台にもなっていて「映画の町」とも呼ばれている。映画好きの私たちとしてはぜひ訪れたい町であった。
今日は尾道市内のホテルにとまり、明日はいろいろと見て回る予定である。


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道後温泉の足湯

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松山市内を走る「坊ちゃん電車」

 
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優雅な姿の松山城


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「坂の上の雲」の秋山兄弟と正岡子規。隣りは坂の下の狸と狐??

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松山駅: 昔ながらのレトロな感じがいい(最近どの駅もモダンだが画一的
になってしまった)。


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松山発の特急「しおかぜ」の天井:おなじみのアンパンマンたち

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高速バス「しまなみ」で「しまなみ海道」をゆく

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因島大橋を渡ると向島、尾道へ。

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.07.16更新

平成22年 7月16日(金) 小雨ふる道後温泉

朝グランドエクシブ「鳴門」を出て鳴門駅からJRで徳島駅へ。徳島駅から高速バス(吉野川エクスプレス)で3時間余りで松山市内にはいる。道後温泉の近くにある旅館「ふなや」にまずはいり、小雨の中宿で傘をかりて道後温泉へ。松山は以前きたことがあるが道後温泉は今回が初めてだ。歩いてすぐ重要文化財にもなっている「道後温泉本館」へ。3000年以上の歴史を持つといわれるこの温泉(伊予の温泉)には聖徳太子も訪れたとの記録がある。本館の屋根の上にはこの温泉の発見の由来といわれる「白鷺」の羽ばたく像がある。明治27年に建造されたこの本館の神の湯と霊の湯と2種類ある湯のうち私達は神の湯に入る。浴槽はコンクリート造りで質素なものだが、夏目漱石も入浴したと思うと感慨もひとしおだ。規模と歴史は国内最大級のものだが、その雰囲気は私が子供のころ通った銭湯を思い出させる(実際に銭湯スタイルである)。またここには皇室専用の浴室(又新殿)が有り、入浴後見学をした(全国にここだけとのこと)。昭和25年に昭和天皇が使われたのが最後であるようだ(専用トイレまであるが、使用されなかった)。

念願であった道後温泉に入ったあと、本日の宿「ふなや」に歩いてもどる。創業370年余りというこの老舗旅館は改装され(1993年)、現在は近代的な旅館となっている。約1500坪といわれる日本庭園は、庭というより森林といったほうがよさそうだ。昭和25年以降は天皇や皇族の方々はこの旅館に泊まられるようだ。瀬戸内海の魚介類を中心とした京風の会席料理を楽しんだあと、歴史あるこの地で眠りにつく。

「にわか雨 傘かりてゆく 道後の湯  隆」

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鳴門駅を出発(徳島駅へ)。駅の近くに「うずしお眼科」というクリニッ
クがあった。鳴門らしいが、なんだか目が回りそう(失礼!)


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道後温泉本館。中央後方の楼の上に白鷺の像がみえる。


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本日の宿「ふなや」の玄関


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「ふなや」の夕食

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道後温泉の時計台。 「坊ちゃん」のマドンナ、赤シャツなどが登場する
(もちろん坊ちゃんも)


 

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.07.15更新

平成22年7月15日(木) 鳴門の渦潮


今年も少しはやめの夏休みをとって家内と四国―山陽のたびに出る。新幹線で新神戸まで行き高速バスで淡路島を経て鳴門に向かう。「明石海峡大橋」を渡って淡路島を突き抜けるようにして「大鳴門橋」にいたる。この橋の途中左手(東)に激しい「渦潮」が見える。昨日までは大雨で四国でも土砂崩れなどがあり天候については不安があったが、この日はまあまあの天気であった。バス停「高速鳴門」で降りると、すぐ近くに本日の宿泊先の「グランドエクシブ鳴門」の送迎バスが付いていた。このバスで約20分海岸線を走ってホテルに着く。ゴルフコースを持つこのリゾートホテルは広大で、入り口の門から宿泊棟まで数分バスで走る。欧米ではこれくらいの規模のホテルを経験したことがあるが、日本では初めてである。

エクシブXIV系のホテル(リゾートトラスト株)を利用するのは今回が初めてで、担当者がスウィートルームを用意してくれていた。さすがにこのヨーロッパ調の部屋はシャンデリアなど豪華で、広さも十分で二人で泊まるのはもったいない程である(4,5人でも泊まれそう)。温泉(スパ)は別の建物にあり、シャトルバスで移動する。このホテルは海岸に面した山側の高台にあるので、このスパより海(瀬戸内海)が見渡せる。短時間ではあるが、まさに王侯貴族?の気分である。普段高めの血圧も少し下がったような気がした(願望)。

このあと夕食となる。いろいろなコースがあるが、日本酒を味わいたく和食(懐石)にする。味もよく上品で洗練された料理で、料亭並みである。地元の日本酒を頼んでみたが、残念ながらこれといえるほどのものではなかった(徳島にもいいお酒はあると思うのだが)。それにしてもこの日はリラックスして床に付く。

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グランドエクシブ 鳴門

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ホテル玄関からの眺め


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スウィートルーム


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夕食: 繊細な和食(懐石料理)を堪能する

 

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.07.01更新

平成22年6月25日(金) 居酒屋:千酔漢(せんすいかん)


このところこのブログも固い内容が続いてしまったので、少し柔らかい話題を。名古屋の地下鉄名城線「久屋大通」駅近く「東急ハンズ」より錦に近い所に一風変わった名前の居酒屋がある。「千酔漢:せんすいかん」というのは「酔っ払いのおやじがたくさん集まる」といった意味だろうと勝手に解釈している。この店に最初に来たのは正確には覚えてないが、平成3年ころではないかと思う。ということは、かれこれ20年近く通っていることになる(この店ができて約30年というだ)。カウンターに数人、囲炉裏を囲んで5-6人というこじんまりした店(2階にも座敷があるが)で、昔ながらの居酒屋という雰囲気が気に入っている。

おつまみ類はごく平凡だが、この店のすごいところは質の高い日本酒(吟醸酒)がずらりと並んでいることである。愛知県を代表する「蓬莱泉」「義侠」「醸し人・九平次」をはじめ「十四代:山形」「磯自慢:静岡」「黒龍:福井」など私の好きな吟醸酒がそろっている。また吟醸酒の最高峰といってもいい「獺祭(だっさい):山口」がおいてあるのは感激である。高級料亭ではない居酒屋でこれだけの日本酒を揃えてあるところは名古屋でもそれほど多くないだろう。

金曜日の夜、夜間外来のあと(PM9時ころ)ふらっとこの店に立ち寄ることが多い。この店の大将や女将さんたちとも長い付き合いで、いつも気楽に呑ませてもらっている。昔の看板やアンテイークなどに囲まれて呑んでいると、暖かくで心地よくなるのは私だけではないであろう。

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「1000酔漢」の入り口

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「醸し人 九平次」 名古屋 ( 緑区 ) の酒。ここ数年で名古屋から頭角をあらわし全国的にも評価されている。

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「蓬莱泉 空」愛知県奥三河の酒(関谷酒造) 愛知県を代表する吟醸酒として「空」「美」「朋」などがある。


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「義侠」愛知県佐屋郡のお酒。酒米の「山田錦」を厳選する蔵で、日本酒らしいしっかりとした味わいは長く地元の酒飲みに愛されている。

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この店の酒ケース。手に入りにくい酒がところ狭しと並べられている。これらのお酒の顔ぶれを見るとたいていの日本酒好きは感動する。このケースの前のカウンター席が私の指定席である。先に紹介した愛知県の3種の名酒のほか「十四代」「磯自慢」「黒龍」などが並んでいる。

 

投稿者: なごやかこどもクリニック