なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2010.04.18更新

平成22年4 月 18 日(日)ファミリーメンタルクリニック

(天白区;原)開院

近年お子さんの発達障害( ADHD など)が話題となることが多いが、この分野の専門家(児童精神科)である河村雄一先生が独立開業され、この日に内覧会を開かれたので家内と出かける。地下鉄鶴舞線「原」駅より歩いて2-3分という便利なビルの 1 階にクリニックはあった。内覧会の最後近くの時間帯であったためか、河村先生ご夫妻に案内していただいた。広さは私共のクリニックと同じくらいの40坪くらいかと思われるが、全体的に明るく清潔な印象である。診察室のほか、面談室、心理検査室などがあるのが一般のクリニックとは違うところだ。またプレイルームも広々としている。

河村先生は名古屋大学医学部の児童精神科のご出身で、「豊田市こども発達センター」などで勤務され小児の自閉症などの発達障害の経験豊富な先生である。愛知県、名古屋市でもこの分野の専門医は少なく、お子さんの発達障害で受診しようとすると予約が何ヶ月、時には 1 年以上先になることもまれではない。私のクリニックでも時々発達障害のご相談を受けるのだが、適当な紹介先が少なくて困ることが多い。これからは河村先生にご相談あるいは紹介させていただけると思う。名古屋市内の発達障害のお子さんを持つご家族には朗報といってもよいだろう。ただこのクリニックでも、開院の時点で予約が1-2か月先とのことであった。

 以前(といっても20年以上前のことだが)地下鉄「植田」駅の近くに住んでいたので、この「原」駅周辺もなつかしいところである。この近くにある子どもの本とおもちゃの専門店で、私のクリニック用のおもちゃを購入する。河村先生は土曜午後、日曜午前も診療をされるということで(私など頭の下がる思いだ)、ご家族にとっても大変便利なことだと思われる。お父さんも一緒に受診できそうだ。この「ファミリーメンタルクリニック」は成人の心療内科もされるので、地元天白区だけでなく名古屋市および周辺の人々にとっても「こころの家庭医」として頼られる存在になるであろう。

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「ファミリーメンタルクリニック」玄関  :名古屋市天白区 原

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心理検査室; マジックミラーあり

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河村雄一先生とともに: 体形の違いが一目瞭然

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.04.10更新

平成22年4月10日(土) 「志ら玉」で会食


上飯田(名古屋市 北区)に「御懐石 志ら玉」という有名な料亭がある。私が 開業前に勤務していた総合上飯田第一病院から歩いて数分というところにあり時々利 用させてもらう店である(北区医師会でもよく利用)。今回は私の姪(妹の次女)が 名古屋市内の女子大に合格したお祝いも兼ねて4人で訪れる。この日の料理は稚鮎や 若竹などといった新鮮な食材をさりげなく調理したものであった。いつものことであ るが旬の素材を使って、決して見た目は派手ではないが味わいのある懐石料理が用意 されている。まさに正統派の日本料理といえるであろう。ここで出されるお酒は百 春:ひゃくしゅん(小坂酒造場:岐阜県美濃市)といって、その純米酒はほどよい香 りがありかつしっかりした味わいがある。私の好きな吟醸酒ではないが、「志ら玉」 の料理の味を引き立てるお酒である(香りの強すぎる吟醸酒は料理とあわないことが ある)。
この店は古くからあったかと思っていたのだが、意外にも戦後(太平洋戦争)上飯 田で初代女将(今も現役)が小さな店を開いたのがはじまりだという。この初代女将 の姪に当たる若女将が今は活躍している。この日も若女将が我々を出迎えてくれた。 この言語聴覚士の資格をもつ若女将とはいささかの縁がある。彼女のお子さん(女児 と男児2名)を上飯田時代から現在のクリニックでも診させてもらっている。

多くの座敷があるのだが、どれも古くて趣がある。名古屋市内の商家や奥三河の古 民家を移築したものである。また有名な陶芸家(人間国宝級)の作品も備えられ、お 茶会などで利用されているとのことだ。姪にとってはこういうところは初めてのよう で、それなりに楽しんでくれたようだ。ちなみにこの姪は私と同じでお酒も食事も大 好き人間である。私がこの「志ら玉に」初めて来た(つれてきてもらった)のは国立 名古屋病院(現名古屋医療センター)の研修医のころだったと思うので、かれこれ3 0年くらい前のことになる。

いずれにしてもこのような料亭が近くにあるというのはうれしいことである。あと 十数年すると若女将の長女が次の若女将になっているかも知れない(そのころ私が生 きているかどうかわからないが)などと想像するのも楽しい。
最後に1句?
「志ら玉 で百春をのむ春の宵」


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志ら玉の玄関 名古屋市北区上飯田

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稚鮎

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ひな人形と若女将(柴山尚子さん):3月に撮影

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.04.04更新

平成22年4月4日(日)八事興正寺の桜

 
 この日は天気もよく、桜の時期も終わりに近いかと家内と八事の興正寺にでかける。地下鉄「川名」駅の近くに住む私達は興生寺の近くはよく通るのだが、立ち寄ることは少ない(何年か前に一度散歩にきたくらい)。「興正寺」はあまりにも有名で名古屋の人には説明するまでもないが、このつたないブログを愛知県以外の方にもみていただいているようなので簡単に解説させていただきたい。高野山真言宗のこの寺は1686年この地に天瑞圓照というお坊さんによって建立されたとのことだ。尾張徳川家の祈願寺でもあり、江戸時代から名古屋を中心として多くの人が訪れたようだ。この寺には桜はそれほど多くなく、特に名所となってもいないので、人もまばらで静かに境内の散策ができた。それでも五重の塔(1808年)を背景にした桜はなかなか見ごたえがある。

 この寺から自宅までは歩くこととした。地下鉄「いりなか」駅近くの「隼人池」の周りにも桜が咲いていた。桜の若芽が春の息吹を感じさせる。ここから「山中」の交差点を左に折れ、「川名」の我が家にいたる。途中休みをいれながら30分くらいは歩いただろうか。このところ運動不足気味の私にとっては心地よい体験であった。

この桜をみていたら昔作った句?が浮かんできた。

「花あるときは花に酔ひ 風あるときは風に酔ふ」



五重の塔と桜


隼人池の桜


桜の若芽

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.04.03更新

平成22年4月3日(土) クリニック送別会:旅立ちの時

この3月末で3名の若者が退職となった。3名が同時に退職となるのは、私共クリニックとしては初めてのことである。夕方より大曽根近くの居酒屋にスタッフ18名とこども7名が集まり、呑んだり食べたりと楽しく過ごす。この3人のうち最も長く勤務してくれたのが豊田看護大学の看護学生であったNさんである。彼女は大学1年生の時、クリニックを開設した平成18年5月のやや後の夏からアルバイト(パート)として夜の外来で看護助手として手伝っていただいた。3年半以上勤務してくれ夜間外来での貴重な戦力となった。彼女の体格、風貌とやさしい性格からこどもたちとも仲良くなったようだ。実際私服でいると中学生か高校生?というかわいさである。「中学生にみえる大学生」と呼ばせてもらった。彼女も無事看護師の国家試験を合格し、大学卒業後は4月より名古屋市内の有名な病院に就職することが決まった。これから研鑽を積んで看護師として活躍してほしいものである。

もう一人の若者は名古屋学芸大学の学生さん(であった)のKさんである。彼女は昨年の冬より夜間外来の医療事務の補助(パート)として活躍してもらった。まじめで、控えめな女性ながらクリニックの受付業務などを卒なくこなしてくれた。大学を無事卒業し、この春より愛知県内の高校に養護教諭として赴任することに決まった。Kさんも年齢よりも若くみられがちで、おっさんのような高校生男子の中では女子生徒と間違えられないか?と変な心配をしてしまう。看護師のNさんは短期間であったが土曜日の外来を手伝っていただいた(パート)。彼女は大病院での小児科の経験があり、患者さんにも優しく勤務時間は少ないもののクリニックの戦力となっていただいた。この春よりもともと所属している名東区にある小児科クリニックでフルに勤務することになる。昨年の秋に地下鉄「一社」駅近くに開院したこのクリニックの院長先生は私の出身である名古屋大学小児科医局の大先輩であり、副院長の奥様とともに家族ぐるみでお付き合いさせていただいている。Nさんもこのクリニックでその実力を発揮してくれることと思う。

彼女たちのような若者にも(ベテランスタッフはもちろんだが)私どものクリニックが支えられていたことを改めて感じる。このクリニックでの経験が少しでも彼女たちのこれからの仕事や生活の上でプラスになってくれればと祈っている。Nさん(新人看護師)、Kさん(養護教諭)、Nさん(中堅看護師)どうもありがとう。


送別の3人:  右より Nさん(中堅看護師)、Kさん(養護教諭)、上條、Nさん(新人看護師)


全員集合


子どもたちも一緒に

投稿者: なごやかこどもクリニック

2010.01.01更新

平成22年 1月1日 名古屋市内で初詣

  元旦は名古屋市内の神社の初詣をした。広小路沿いにあり私もよく通るのだが今まで参拝をしたことがなかった「朝日神社」を訪れる。伊勢神宮の神領(御園)として歴史のある神社で、清州の朝日郷にあっつたものが約400年前の「清州越え」で名古屋に移されたとのことである。伊勢系の神社なので当然のことながら「天照皇大神:あまてらすすめおおみかみ」を祭っている。昭和初期には名古屋市内では「熱田神宮」に次ぐ参拝者で賑わったようである。今では参拝者もそれほど多くなく、静かな神社という印象であった。 次に本町通りから少し入ったところ(袋町)にある「福生院:ふくしょういん」に向かう。ここでは「大聖歓喜天」が祭られている。ここも歴史は古く1386年ころが発祥のようで、中村の里にあったものが清州に移り更に「清州越え」で現在の地に移転したとのことだ。地元では「袋町のお聖天様」とよばれている。また「観音菩薩」なども置かれ、ここでは神と仏が共存しているという印象が強い。おそらく日本では中世からみられる「神仏混淆」のなごりであろう。「ぼけ封じ観世音菩薩」ともよばれるこの観音様にもお参りしておいた(果たして効果は?)。名古屋七福神の「毘沙門天」も祭られている。神様、仏様さらに七福神と賑やかなところであった。 


朝日神社 :名古屋市中区錦3丁目


真言宗 福生院(袋町お聖天)

 続いて「桜天神」を訪れる。名古屋市内を東西に走る「桜通り」の由来になった神社と聞いてはいたのだが、実際にお参りしたのは今回が初めてである。桜通り沿いの高層ビルの間にあるこじんまりした神社で、車で通ると見逃してしまいそうなところである。
 織田信長の父信秀が菅原道真公(845-903)を信仰し那古野城にその木像を祭ったのものが、1538年に現在の地に移されたのがその由来とされている。江戸時代に福島正則が制札を立て、加藤清正がここを本陣として名古屋城築城の指揮をとったとのことである。当時ここは桜の名所で、桜木の下に掘られた井戸が「天神の井戸」として当時名古屋三名水のひとつとされたようである。道真公はいわずと知れた学問の神であり、現在でも多くの大学などの受験生の合格祈願の札がかけられている。今回のお参りで、400年以上も前に設けられたこの神社(道真公)が受験生を通じて脈々と信仰されていることを感じた。
 名古屋城築城当時は東西南北10本の道路(碁盤割り)があり、そのほぼ中心にこの「桜天神」が位置している(桜通りと本町通りの交差点付近)。また上野天満宮(千種区)と山田天満宮(北区)とあわせて「名古屋三大天神」と呼ばれていることも今回知った。梅や桜の時期にまた訪れてみたい神社である。


桜天神 名古屋市中区錦2丁目

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.12.31更新

12月31日(木) 志摩の雪

私たちの長年の友人で「浜島」に住んでいるTさんが昼前にホテルを訪れてくれた。Tさん(ご主人は画家でもう20年以上も前に亡くなられたのだが)は浜島にあるアトリエ兼自宅から週1,2日名古屋に通いエレクトーンの講師をしている(専門はバイオリン)。年1回私たちはこの時期に会うのが恒例のようになっているのだが、3人でいろいろと話がはずんだ。Tさんは私よりも5歳以上年上のはずだが、考え方が前向きで若々しい。エレクトーン教室で若い生徒さんと接しているせいもあると思われるが、とにかく元気で全く年を感じさせない。話の途中にふと気がつくと雪がちらほら降っている。地元の人にとっても志摩でこの時期の雪は珍しいとのことだ。「賢島」駅までTさんに送ってもらい、帰途につく。年上のTさんから元気をもらいよい年末となった。



賢島駅にて。近鉄特急で名古屋に戻る。

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.12.30更新

12月30日(水)志摩観光ホテル

例年年末は鳥羽・志摩へ一泊旅行をしているのだが、今回は「志摩観光ホテル」に泊まることとなった。昼ころ近鉄名古屋駅を出発し、「賢島」駅に到着。ホテルは駅から歩いても行ける距離にある。このホテルは海の幸をふんだんに使ったフランス料理で昔から有名だが、最近はあの「華麗なる一族」の舞台にもなりご存知の方も多いと思う(一族で正月をこのホテルで過ごすという設定)。大きなホテルをイメージしていたのだが、玄関などは意外と地味であった。私と家内が泊まるのは旧館(クラシック)で、すぐ近くに新館がある。夕食まで時間があったのでこの新館を訪れる。こちらは規模も大きくモダンなつくりで、スパなどもありいろいろと楽しめそうである。

旧館に戻り夕食となる。あわびなど海の幸の豊富なフランス料理はさすがである。ワインもおいしい。ただすごく驚くほど美味しいというわけでもなかった。名古屋でも最近は優れたフランス料理の店がいくつかあり、私たちがそれらに慣れてきたせいかもしれない。「ラ・メール」というこのホテルのメインダイニングでどこかでみたことのある人も見かけた(芸能人?)。それにしてもこの歴史あるホテルで食事をして、ゆっくり眠ることができた(ホテルのため温泉がなかったのは残念であったが)。




ホテルの玄関


ホテル全景


「ラ・メール」にて夕食


伊勢えび


あわびのステーキ

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.11.28更新

11月28日(土) 錦の鮨屋「うさぎ」

名古屋の錦に「うさぎ」という鮨処としては一風変わった名前の店がある。錦第一ホテルの1階にあり、場所も良いことから私も長年通った鮨屋さんである。大将の近藤哲二郎さんは、この道40年以上のベテランである。奥さんと二人で切り盛りする家庭的な店(カウンターのみ10席程度)で、私は金曜日の夜外来のあとPM9時くらいに寄って呑んだり、食べたりさせてもらった。ご主人の近藤さんは出身が岡崎で私たち夫婦と同郷ということもあり、気楽に通わせてもらった。ところが大将は糖尿病があり腎機能も悪化してきたため、この「うさぎ」を残念ながら閉店することなり本日が最終営業日となった。
この店は現在の場所に移って12年となるとのことだった。私はここに移転する2,3年前から来ているので通算すると15年くらい通ったことになる。大将は大阪で修行して名古屋で店を開いたということで、関西の散らし寿司も美味しくまた江戸前の鮨も絶品である。江戸前の「まぐろ」のづけ(まぐろを醤油で浸したもの)はこの店の名物といってもいいくらいである。実際私もこの店で始めてこの「づけ」を体験した。
「うさぎ」という店名の由来を一度聞いたことがあるが、大将のお姉さんと奥さんが「うさぎ年」であることから命名されたようだ。どちらかというと無口で淡々と鮨を握る大将と、明るくて社交的な奥さんのコンビはなかなかなものである。また大将は「大相撲」と何らかの関係があるようで、横綱の朝青龍がこの店を訪れたときの写真が飾ってある。
長年にわたっておいしい鮨を握ってくれた大将には、ご苦労様といいたい。鮨だけでなく、茶碗蒸しや各種珍味(「ばちこ」など)もこの店独特のものである。またあまりプロが握らない「いなり寿司」もおいしかった。ぜひ腎機能を回復されて、またいつかどこかで鮨を握ってほしいと願うのは私たちだけではないであろう。今日は私たち夫婦以外にも、長年の常連さんが「うさぎ」での最後の鮨を楽しむために集まった(静岡から来たお客さんもあった)。今日は息子さんが手伝いにきていた。大将や奥さんとのまたの再会を期待しつつ店を出る。



鮨ねたケース: こはだ、えび、しゃこなど


仕事中の大将と奥さん


ねたを選ぶ大将


鮨(いなり、あなご)。
日本酒 「契(大吟醸)」サカツコーポレー ション(本社、名古屋)


珍味「ばちこ」(なまこの卵巣の干物:大将の手作り)。
私もここで初め て体験。その形が三味線の「ばち」に
似ていることから「ばちこ」と呼ばれるようだ。


店の前で奥さんとともに。さようなら「うさぎ」さん。

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.10.11更新

10月11日(日)  ハロウィン祭り&講演会

   「NPO法人なごやか親子ネット」を今年5月に設立後最初のイベントを名古屋栄のナディアパークで行った。この日は天気もよく大勢の方々に来ていただいた。2階のアトリウムで「キッズダンス(富永さん)」「マジックショー(横井さん)」そして「プリスクールの先生と英語で遊ぼう(木村さん)」などの出し物を行い、好評を得た。ミュージシャンの山田パンダさんも懐かしいものから子供向きのものまで(崖の上のポニョなど)歌っていただいた。また「バルーンアート」をピエロに扮した4人の方に披露していただき、子ども達に大好評であった。「手作り体験コーナー」では粘土、フラワーアレンジなどを行いお子さんたちが楽しんでくれたようである。クリニックでもこれまでいろいろなイベントを行ってきたが、今回は場所も名古屋栄の一等地で規模もかなり大きく、準備などにも相当な苦労があった。NPO事務局の近藤を中心に多くのボランティアの方々に支えられ何とか成功裏に終わったことで、よい経験となり今後の活動への1つのステップになったように感じる。
  6階では子どもに関する2つの講演が行われた。まず清流みずほ幼稚園(瑞穂市)の加納大裕先生による「子どもをよくする7つの魔法」というお話であった。加納先生は自然や日本の伝統などを取り入れた、独特の幼児教育(リーベリー教育)を実践されている。「子どもに対してせかせず、何事もゆっくりさせるといろいろなことができる」ことや「音楽(リズム)とともにお手伝いをしてもらう」ことなど、子育てにも役に立つ内容のお話であった。「夜は早く寝て、生活のリズムを安定させること」が重要という点は私たち小児科医と同じ意見であった。子どもであっても「本物」を体験させるという先生の理念が伝わる講演であった。
 続いて安原こどもクリニック(寝屋川市)院長の安原昭博先生が「発達障害の子ども達とのつきあい方」という講演をされる。安原先生は長年にわたり発達障害のお子さんを診られていて、その体験からのお話は興味深いものであった。ADHDのお子さんは特別な才能をもつことも珍しくなく、発明王のエジソンやアインシュタインもADHDであった可能性が高いとのことであった。発達障害のお子さんも適切な指導を受ければその才能を発揮することができるという前向きな話であった。安原先生のユニークな視点からの講演お聞きして、ADHDや自閉症が身近に感じられるようになった。



清流みずほ幼稚園 園長 加納大裕 先生

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.10.03更新

10月3日(土)学会最終日

  本日で学会最終日となる。昼のランチョンセミナーの「進化からみたヒトの子供の特殊性」が面白かった。人類学者の長谷川真理子先生による講演で、ヒトの子供を他の動物(チンパンジーなど)と比較した話である。ヒトでは幼児期から思春期(生殖期)にいたる「こども時代」が他の種に比べ非常に長いとのことである。人間の文明が高度に発達したため、この社会の一員として適応するまでの訓練期間として長期間の「こども時代」が必要になったらしい。確かに小中学校から高校や専門学校さらには大学と教育訓練期間が長く、二十歳近くなってやっと一人前の大人となる(最近では二十歳すぎても自立しない若者も見受けるが)。この教育は親だけでできるものではなく(ヒト以外の動物は原則家族内の教育のみ)、社会全体でとりくむ必要があるというようなことを言われたように思う。確かに現代の子育てが「家庭内」のみになりがちで、様々な問題が引き起こされている原因のひとつがここにあるのかも知れない。また普通の動物は生殖期(繁殖期)が終わると死に至るのが普通だが、ヒトの場合は老後の時期が長い。なぜヒト(特に女性)ではこのような事態が起こったのか。医療が発達したということもあるが、高度に発達した人間社会では、長生きした人の知識や経験をより若い世代に伝えることが必要になるようだ。このように考えると、おばあちゃん(おじいちゃん)が娘の子育てを手伝うことは、人類学的に見ても理にかなっているようだ。霊長類の頂点にいるヒト(ホモサピエンス)の文明を支えている要因の一つは、この長い「小児期」と「老人期」なのかも知れない(私の勝手な拡大解釈か?)。
  このあとのシンポジウムは「1型糖尿病の新しい治療法(CSII):川村先生」と「思春期発来異常:田島先生」に関するもので、どちらも興味深いものであった。来年の本学会は大阪で藤田敬之助先生が担当される旨を報告される。最後に会長の有坂治先生が閉会の挨拶をされ学会は終了となった(事務局長の小山さとみ先生もご苦労様でした)。夕方某製薬会社が主催する研究会に出席する。小児内分泌分野での経験豊富な先生方(開業医)が全国より一堂に会する、迫力のある研究会の発足であった。この後2,3人でやはり「泉町通り」に繰り出しお酒を楽しみ、やや疲れ気味の私はホテルに戻り眠りにつく。明日は東京を経由して名古屋へ戻る。宇都宮餃子をお土産にしよう。宇都宮の印象は「ジャズ」「カクテル」そして「餃子」といったところか(またしても呑むこと、食べることになってしまったが)。

投稿者: なごやかこどもクリニック

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