なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2009.10.02更新

10月2日(金)As time goes by

朝から学会場へ。昼からのポスター発表では名大小児科の岩山先生が「脳腫瘍手術後に成長ホルモン治療を必要とした症例とそうでなかった症例の比較」の報告を行った。これが今学会での私どもグループの唯一の発表となった。特別講演は英国のDr.Hughesの「性発達異常の新しい分類」という内容で、かなり専門的なものであったが、この分野の世界の流れが感じられる内容であった。シンポジウムでは「早産児における低サイロキシン血症」が話題となった。いくつかの講演があったのだが、印象深かったのは藤枝憲二(旭川医大教授)先生の学会賞受賞講演であった。先生の30年にわたる小児内分泌の研究と臨床について海外での経験なども含めて話をされたが、まさにこの分野の発展の歴史といっていい内容だった。特に若い先生方(研究者)に向けて本音でご自身の研究の挫折なども話され、彼らにこの分野での今後を期待されていることが切々と感じられた。大病をおしてのご講演であり、私を含め会場の多くの人に深い感銘を与えたことは間違いない。

イーブニングセミナー終了後、名大小児科のI先生、N先生そして久しぶりに会う島根医大小児科のO先生と宇都宮の中心部にあるいろいろな飲み屋が集まったところで呑む。カウンターに5,6人も座ればいっぱいになるような店だったが、昔懐かしい居酒屋という感じで酒、焼酎などを呑む。O先生はいつも楽しく酒を呑める友人でもあるが、甲状腺の分野(分子生物学)でのかなりのレベルの研究でこの領域では小児内分泌の第1人者である。この研究でもお酒でもスーパーなO先生とひと時を過ごしてI先生やN先生も感銘を受けたようである。

この町はカクテルでも有名なようで、このあと4人で学会場に近い「泉町通り」にある「As Time Goes By」という店にO先生のお勧めで行く。看板も目立たず静かな店だが、カクテルもなかなかで雰囲気のいい店であった。「As Time Goes By」といえば私より上の年代の方はご存知と思うが、イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボカートが主演するモロッコの町「カサブランカ」を舞台とするアメリカ映画(1942年)で歌われる曲である。第二次世界大戦を背景に、ヨーロッパよりこの町に避難してきた二人(元恋人同志)がこの町で再会し、ボカート(映画の中ではリック)が経営する店で黒人歌手のサムがピアノを弾きながら渋い声で歌うのがこの「As Time Goes By」である。この心にしみいるような暖かい曲は今でもジャズクラブなどで歌われている。二人が飛行場で別れるシーン(バーグマンがアメリカに向けて飛び立つ)と「君の瞳に乾杯」というセリフはあまりにも有名である(もっと書きたいのだが、今回はこのへんまでにしておこう)。



岩山先生の発表ポスター(脳腫瘍と成長)


宇都宮の居酒屋でごきげんな4人組: 上條、O先生、I先生、N先生


カクテルバー「As Time Goes By」 : 外からはほとんど分からない隠 れ家的バー

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2009.10.01更新

10月1日(木) 宇都宮餃子

東京から東北新幹線に乗り約1時間弱で宇都宮に着く。昼ごろついたのでこの町で有名な「宇都宮みんみん」という店で餃子を食べる。なかなかの味で値段も手ごろである。今回の学会の会場(栃木県総合文化センター)から歩いても近い距離にある店だ。JR宇都宮駅から「大通り」をまっすぐ行った町の中心部にある「二荒山(ふたあらやま)神社」を訪れる。歴史の古い神社で、蝦夷平定にこの地にはいった「豊城人彦命」を祭ったもので、今から1600年以上前に作られたようだ。その由来から武運の神として祭られ、源頼朝や徳川家康が武運長久のため祈願したといわれている。

このあと小児内分泌学会場にはいる。今回の会長である独協医大小児科教授の有坂治先生の開会の挨拶のあと、数々の口演発表がありどれも興味深いものであったがここでは省略する。

夕方イブニングセミナーがあったので参加する。「SGA性低身長―よりよい治療をめざしてー」というテーマで、成育医療センターの横谷進先生と英国のDr.Dungerがそれぞれの立場から講演をされる。SGAはsmall for gestational ageの略で出生体重、身長が在胎週数にくらべて少ないお子さん(低出生体重児)のことである。日本でもこういったお子さんに成長ホルモン治療ができるようになり、その効果と問題点について様々な点が話題となり興味深い内容であった。

学会初日の夜は名古屋から来た中堅―若手の先生と夕食。この町はジャズも盛んでいくつかのライブの店などがある。3人でその中の一つの店に入る(近代人とか いう店だった)。この日は演奏はなかったが、若き日の渡辺貞夫とこの店のマスターの少しくすんだ写真が印象的であった(渡辺貞夫はこの地の出身か)。


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写真1  宇都宮みんみん

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写真2  宇都宮餃子
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写真3  二荒山神社

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2009.09.30更新

9月30日(水) 東京女子医大

明日より宇都宮で小児内分泌学会があるため、午前中の診療を済ませ午後より東京に向かう。以前より東京女子医大の小児科の勉強会で何か話しをとの依頼があったため、今回女子医大を始めて訪れる。東京女子医大といえば吉岡弥生女史により設立された歴史の古い伝統の有る日本を代表する医学部である。東京駅からタクシーで新宿へ約30分ほどで到着。内分泌センター、糖尿病センター、循環器センターなどの建物が立ち並ぶ大きな病院群である。これらのセンターとは道を挟んで反対側にある1号館という建物にはいる。少し古いが風格のあるこの建物はかつて外来や病棟などとして使われていたようだ(東京駅を設計した技術者によるとのことだった)。今回私を呼んでいただいた小児科の準教授(助教授)の永木茂先生が迎えてくれた。永木先生とは学会や研究会などでよくお会いする仲である(その縁で今回呼んでいただいた)。

この建物の2階の一室に約25人ほどの小児科の先生方(医局員)が集まり、そこで私が米国留学中と帰国後に行った「成長ホルモン遺伝子の解析」についてお話させていただいた。今から10年以上も前の仕事で恐縮ではあったが、これらの研究の歴史的な背景などを説明させていただいた。当然のことながらここでは女性医師が多く、約1時簡にわたる私の話を聞いていただいた。私の拙い話がこれら若手の先生方の臨床の場で多少でも参考になれば幸いである。

この後、永木先生や関係者とで食事に向かう。赤坂にある沖縄料理の専門店で料理と泡盛などを堪能する。創始者の吉岡弥生先生が静岡県掛川市(大東町)の出身で、看護学部がこちらにあることなどが話題となる。掛川は私ども夫婦で時々訪れる町で、意外なところで女子医大との縁があったことを知る。貴重な体験をさせていただいた永木先生に感謝しつつ、東京駅近くのホテルに戻る。


東京女子医大 1号館


東京女子医大小児科の皆さんと


永木先生とともに食事

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2009.09.13更新

9月13日(日) さんぷる工房

朝食を済ませて車で「郡上八幡城」まで行く。高台にあるこの城からは長良川とその支流の吉田川とのあいだの盆地にある郡上の町が一望できる。昨日と違い今日は晴天で心地よい。この城は1559年に遠藤盛数(初代城主)が八幡山に築いたもので、郡上は城下町であったことを知る。また大河ドラマでも話題となった山内一豊の妻として知られる千代がこの地の出身で盛数の娘である(違うという説もあるようだが)ことがその肖像画(見性院)とともに城内に展示されていた。

このお城を後にし、I君夫妻お勧めの蕎麦を食べたあと街中を歩く。さすがに水が豊富で、「宗祇水」と呼ばれる日本の名水に選ばれているところで水を飲む。評判どおり透明感があり少し味わいのある水であった(ミネラルが豊富なためか)。食堂などにある精巧な「食品サンプル」発祥の地がこの町で、「さんぷる工房(岩崎グループ)」では体験コーナーがありサンプル作りが楽しめるようになっている。我々は体験はしなかったが、いくつかの果物やお菓子などのサンプル(携帯ストラップなど)を購入。私も高校生の姪へのお土産に「さくらんぼ」と「苺」のストラップを買う。この町にはそれほど大きな建物(ビルなど)もなく、古き良き日本のたたずまいを残している。もちろん大きなお寺はいくつかあるが。お寺といえば私たちが訪ねた「慈恩護国禅寺」の庭(日本庭園)はとても静かで美しく、京都の苔寺や龍安寺の石庭を思わせる。八幡城主の遠藤氏、金森氏ゆかりの寺とのことだ。

郡上八幡は人口約4万5千という小さな町だが、このような町が日本にもまだ残っていることがうれしいことである(我々旅行者と違って、ここで暮らす人にはそれなりの問題もあるかもしれないが)。有名な「郡上踊り」のシーズンのあとであったので比較的宿などもすいていた。秋には紅葉が美しいようで、ぜひそのころにも訪れてみたいものだ。


宿の朝食: 山菜と朴歯味 噌


郡上八幡城: この城は再建された ものである


慈恩護国寺の庭園


街中を流れるきれいな水


さんぷる工房の携帯ストラップ:  レモン、さくらんぼ、いちご

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.09.12更新

9月12日(土)  郡上鮎

中学、高校時代の同級生のI君夫妻とK君、私たち夫婦の5人で郡上を訪れる。緑と水にあふれるこの町は一度行きたいと思っていたのだが、今回やっと実現した。私達はクリニックの外来終了後、PM2時ころ名古屋を車で出発し、東海北陸自動車道の郡上八幡ICを降りる。名古屋から約1時間半で本日の宿「吉田屋」に到着。蒲郡を出発したI夫妻と岡崎で合流したK君もほぼ同時に宿に到着。
この「吉田屋」という料理旅館は歴史のある宿で、あの食通で有名な「北大路魯山人」や数々の文化人が訪れたようである。郡上を何度も訪れているI君が予約をしてくれた。私たちが通されたのも趣のあるしっとりとした和風の部屋で、中庭の緑が小雨にぬれて美しい。温泉ではないが、きれいな水を沸かした風呂を浴びたあと夕食となる。いよいよ今回の旅の最大の目的である「郡上鮎」の登場。天然の鮎というと小ぶりというイメージが強かったのだが、かなりの大きさである。さっぱりとしていながら鮎独特の香りが何ともいえない。この他にも味噌で味わう鮎や、刺身など鮎尽くしの料理を堪能する。「吉田屋」の鮎は友釣りでとれる地元でも最高のものである。たまたま先週東海テレビで、郡上に残る最後の鮎釣り名人が紹介されていた。この名人が釣る天然鮎がこの旅館に納められるようである。この鮎尽くしにすっかり満足した私は、いつもより早めに眠りにつく。


郡上鮎(天然鮎)


私たちが泊まった部屋の紹介写真


私たちが泊まった部屋と庭

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.08.30更新

8月30日(日) 「 一社アレルギー科・こどもクリニック」 開院

鳥居新平先生と鳥居明子先生ご夫妻がアレルギー専門クリニックを開院されることになり、この日の内覧会に家内と共に出かけた。鳥居新平先生は名古屋大学医学部小児科の大先輩であり、小児アレルギーの診療・研究の第一人者であり、また私が上飯田第一病院小児科在職中に大変お世話になった先生である。クリニックは地下鉄「一社」駅から歩いて1-2分のバスターミナル向かいのビルの1階にあった。玄関を入るとすぐ右手に「花粉払落ブース」があるのが、いかにもアレルギー専門クリニックらしい。私も入ってみたが花粉を落とすだけでなく、衣服の消臭もできるようである。

清潔で明るいクリニックで、面積は私どものクリニックと同じくらいとお聞きしたが、天井が高い分より広く感じられる。この日は内覧会のためかカラフルな風船が置かれ、こども達もそれをもらって楽しそうにしている。診察室やレントゲン室も明るく工夫され使いやすそうである。また当然のことながら内装も「シックハウス」対策が十分なされている。

以前上飯田第一病院小児科に勤務していた看護師さんが常勤として活動するようである。鳥居新平先生は火曜日の上飯田第一病院のアレルギー外来は今後も続けられるとのことであった。「一社」に来ることはこれまで少なかったのだが、地下鉄駅の近くにはかなり多くのクリニックがある。鳥居先生のクリニックには名古屋市内あるいは県外からも多くのアレルギーの患者さんが訪れることだろう。いずれにしても市内の名東区と北区に信頼できるアレルギー科があることは、患者さんにとっても心強いことと思う。


クリニック入り口(内覧会受付)


入り口右手にある「花粉払落ブース」


院内にあふれる風船


鳥居新平・明子先生とともに

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.08.17更新

8月17日(月) 看護師さん募集中

  このブログも書き始めて約2年となりました。クリニックの行事から全く個人的なことまで気ままに書かせてもらっています。「呑んだり、食べたり、音楽を聴いたり」といった私の個人的な嗜好に関する内容が多いことは皆さんお気付きのことと思います。こんなものでもいろいろな方に見ていただいているようです。その中には医療関係の方もみえるようです。そこで今回はクリニックの事情について書いてみたいと思います。これまでクリニックで働いてくれた小児科勤務の経験ある看護師さん(パート)が、ご主人の仕事のため名古屋より転居となりこの9月に退職されます。これに伴いパートの看護師さんを1名募集しています。小児科の経験のある方あるいはない方でも、私どものクリニックで活動してみたいという方を探しています。待遇などはこのホームページの募集要項をご参照下さい。また常勤の看護師さん(小児科の経験3年以上ある方)も同時に求めています。
一般小児科(予防接種など含む)と小児内分泌の外来患者さんの看護(介助、採血など)が主な業務となります。一般小児科は夜間外来(PM6-8時)も行っています。夜間外来も週1,2回勤務していただけるとありがたいです。パートの方については勤務時間(午前、午後)は個々に相談に応じます。私の目からみても、皆さん和気藹々と仕事をしてもらっていると思います。私たちとともに子供さんのために働いてみませんか。少しでも興味あるかたがありましたら、下記のメールまでご連絡(お問い合わせ)下さい。

kamijo@nagoyaka-child.com

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.08.08更新

8月8日(土) 長良川の鵜飼

  毎年夏にクリニックのメンバーで長良川の鵜飼を楽しんでいる。昨年は8月末に予約したため雨と雷の中での鵜飼で、大変な思いをした。今年はおだやかな天候で、楽しい鵜飼となった。クリニックをPM4時半にマイクロバスで出発する。今年は代務に来ていただいているT先生夫妻と娘さんを含め総勢15人で出かける。ちょっとした遠足気分で、子どもたちはバスの中ではしゃいでいる。PM6時前に岐阜市内を通り、いつも利用するホテルに到着。一休みした後、屋形船(20人乗り)に乗船する。ここでまず食事とビ-ル、お酒となる(子どもはジュース)。まだ周囲は明るく、鵜飼の雰囲気とはならないが風も少しずつ涼しくなる。

PM7:30を過ぎると周囲も徐々に暗くなり鵜飼らしい雰囲気となる。鵜匠3人が数羽の鵜を引いて鵜船を進める。数隻の鵜船が闇の中をかなりの速さで進む。細かい部分は見えないが、松明の明かりが川面をすべるように進む。我々の乗った屋形船もこれに並行して進む。さすがに1300年以上続くこの「鵜飼」の優雅さ、あるいは「幽玄」ともいえる美しさを感じたのは私だけではないであろう。子どもたちもしっかりと見入っていた(昔の鵜飼のほうが本格的でより美しかったとのことだが)。あの喜劇王のチャップリンも2度この鵜飼を鑑賞し、日本の美として絶賛したということだ。芭蕉の句「おもしろうて やがてかなしき 鵜船かな」を思い起こす。

ひと時の夏の夜を長良川ですごした後は、マイクロバスで名古屋へ戻る。行きにははしゃいでいた子どもたちも静かで、心地よさそうに眠っている子もいる。かくいう私も、お酒の酔いと満足感が体中をめぐりいつの間にか寝入ってしまった。ところで現在のわが国は政治、経済ともに停滞し、このままいくと経済破綻(国家破産)する可能性も低くない。さらに日本という国そのものが存亡の危機にさらされることを憂いている。仮に将来地図上に日本という国が消滅したとしても(中国の一部になっているかもしれない)、この「鵜飼」のような日本の伝統だけはなくならないだろう(なくしてはいけない)。千年以上続く伝統文化をいくつか持つ民族というのは、地球上にそれほど多くないだろう。そんなことを考えさせられた夏の一夜であった。


長良川: 屋形船


圭太郎君とともに


乗船前:全員集合


屋形船で宴会


屋形船の子どもたち


鵜飼船の松明

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.07.19更新

7月19日(日) 安房峠を越え松本へ

  朝風呂と朝食の後「湯元 長座」を出る。今日も小雨だが、宿を包む山の緑が瑞々しく美しい。バスで平湯まで行き、松本行きのバスに乗り換える。岐阜県と長野県をつなぐ「安房峠」を貫くトンネルができてかなりの年月になるが、今回初めてこのトンネルを通る。それほど長いトンネルではないが、高山から松本へ車で抜けられる(国道158号)というのは画期的なことと思う。東京方面から平湯などに来る観光客が増えているようだ。さすがに夏休みにはいったためか、松本市内は多くの車でかなり渋滞している。松本で軽い昼食を済ませ、特急しなので名古屋に帰る。松本(正確には旧南安曇郡)は私の父の出身地で親戚も市内にあるのだが、今回は時間の関係もあり立ち寄れなかった。上條という名前は名古屋では少ないのだが、松本ではポピュラーな苗字である。小学校のクラスの1/3近くの姓が上條という地区もあるほどだ。


福地温泉 「湯元 長座(ちょうざ)」


「湯元 長座」 玄関で


私たちが宿泊した部屋:梁の太さに注目


私たちが宿泊した部屋: 囲炉裏がある


囲炉裏端での夕食


夕食:山菜料理


福地温泉を出発

投稿者: なごやかこどもクリニック

2009.07.18更新

7月18日(土) 秘湯福地温泉(奥飛騨温泉郷)

  昨日に続き天候は今一つだが、朝宿を出て昼まで高山市内を歩く。高山へは何回も来ていて主なところは訪れているので、今回は「高山昭和館」という比較的地味な場所に立ち寄る。街中の一角にあるこの博物館は思ったより規模が大きく、昭和30年代の町並みが再現されている。電気屋、美容室、交番から学校の教室まで再現されている。ちょうど私が小学校低学年のころにあたり、懐かしいものがいくつかあった。中の映画館で「東京オリンピック」までの経過が白黒の映画で上映されていた。オリンピックに向けて急速に東京の街が開発されていく様子がよくわかる。そういえば私も小学校の体育館で「東京オリンピック」を皆と一緒に見たのを思い出す。昭和館から高山駅へ行く途中にある「飛騨国分寺」という古いお寺に立ち寄る。樹齢1200年を越すというみごとな巨木があった。偶然だが、この日の宵に中国出身で今は名古屋を中心に活動している「張濱」という私の知り合いの二胡奏者がこの寺の境内でコンサートを行うことを知る。私たちは昼から「平湯」方面へ移動するため参加できないが、張さんが活躍しているのはうれしいことだ。

高山駅からバスで平湯へ向かう。平湯から新穂高温泉行きのバスに乗り換える。「福地温泉下」というバス停で降りると、今日の宿泊先である「湯元 長座」が目の前にある。山の斜面を利用したとても大きな宿で、面積は数千坪あるとのことだ。入り口から帳場までかなりの距離を歩く。どの建物も古い味わいのあるもので、梁などは非常に太く黒光りしている。私たちの泊まった部屋にも「囲炉裏」があり、広々として快適である。温泉は部屋からかなり歩いたところにあるが、浴槽は檜ばりで、お湯も大変良い。部屋からも温泉からも回りは美しい緑の自然がみられ、大自然の中にいるという感じになる。夕食も飛騨牛や地元の食材でおいしい料理を囲炉裏であぶりながら楽しむ(もちろん地酒も)。この食事中に宿のご主人が挨拶にみえる。この福地(ふくじ)温泉は歴史は古い(平安時代ころより)のだが温泉宿ができたのは比較的新しく、このご主人も元は農家だったのが40年くらい前にこの宿を作ったとのことであった。古い豪農の館を移築してできたのがこの「湯元 長座」である。この宿は一部温泉好きの間では有名で人気があり、「日本の秘湯」として登録されている。この夜は自然に包まれるようによく眠れた。


「高山昭和館」 診療所


「高山昭和館」 当時の学校


「高山昭和館」 昭和横丁


「高山昭和館」 駄菓子屋


「飛騨国分寺」 三重の塔


「飛騨国分寺」 大イチョウ :樹齢1200年を超えるといわれている



投稿者: なごやかこどもクリニック

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