なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2008.07.20更新

長岡と北越戊辰戦争


朝新潟のホテルを出て、上越新幹線で約30分で「長岡」へ到着。長岡といえば花火で有名だが、明治(幕末)の新政府(官軍)と戦ったもうひとつの戊辰戦争(北越戊辰戦争)の場であったことを知る。長岡藩は最初徳川幕府と新政府に対して中立の立場であったが、最終的には幕府側となり官軍に破れ、このときの指導者であった(家老)河井継乃助は後に激戦地となる「会津」までの転戦の最中に病死する。このため長岡城は廃城となり、現在では長岡駅近くにある長岡城址(二の丸址)がわずかに残るのみである(長岡駅付近が本丸であったようだ)。「米百俵」で有名となった「国漢学校」の跡地を市内の中心地近くに訪ねる。この話は、経済的にも苦境にあった長岡藩に送られた百俵の米を今食べるのではなく、将来の藩をになう人材を育てるために学校を作ったという風に私は理解している。つまり今現在のお腹を満たすことよりも、人材の育成(教育)が長い目でみれば重要ということだと思う。この話を元総理が間違って(故意に?)引用し、無意味な歳出削減を続けたため教育も医療も荒廃の道を歩んでしまっていることは周知のことである。
長岡市内に「吉の川」:吉の川㈱が、郊外に久保田:朝日酒造がある。久保田は千寿、万寿などがよく知られる新潟の銘酒であるが、昨年の中越地震で被害を受け一時品薄となった。現在では完全に復興し、いつでもこれらのお酒がのめることはうれしいことである。日曜日だったため蔵の見学はできなかったが、この町の歴史の一部を知ることができた。遅めの昼食を駅構内のそば屋で新潟独特の、緑色で磯の香りのする「へきそば」を食べてから新幹線で東京に向かう。この日は東京で赤坂のホテルで泊まる。

投稿者: なごやかこどもクリニック