院長ブログ

2025.10.20更新

 個人的な話になりますが、私の両親は大正13年生まれで、今生きていれば101歳となります。昭和という時代を振り返れば「アジア太平洋戦争」の前と後に分けられるかと思います。戦前のニューヨークから始まった世界恐慌から日本も不況となり、その不満から軍部の台頭を許し戦争に向かって突き進む「暗い時代」と、戦後の国土復興に始まり経済発展の「明るい時代」に大雑把に分けられると思います。
1929年(昭和4年)にニューヨークの株式市場の株価が大暴落し、世界中に影響が伝わりました(ブラックマンデー)。日本でもこの影響は大きく大不況となりました(昭和恐慌)。特に農村部の被害は大きく、「女性の身売り」など悲惨な状況となりました。軍隊には農村部の出身者も多く、またこのころの政治家の無力や汚職などもあり、軍部が政治に圧力を開けるようになりました。1931年関東軍は南満州鉄道をみずから破壊し奉天、長春を占領(満州事変)。1932年(昭和7年)の5.15事件(海軍青年将校)で政治家が暗殺され、また1936年(昭和11年)の2.26事件(陸軍皇道派)により、軍部がますます力をもつきっかけとなりました。この経済不況は植民地を持たないイタリア、ドイツ、日本には大きな負の影響をもたらしました。日本は満州に傀儡政権(溥儀)を作りました。これを非難した国際連盟から日本は脱退し(1933年),1937年の中国の盧溝橋事件をきっかけに、約8年にわたる「日中戦争」へと発展します。
 1939年9月ナチスドイツがポーランドに侵攻し、これに対してイギリスが戦線布告をして「第二次世界大戦」がはじまります。1940年9月日本はイタリア、ドイツと軍事同盟(三国軍事同盟)を結び、1941年(昭和16年)12月8日真珠湾に奇襲攻撃をして、アメリカ、イギリスとの戦争に突入します(太平洋戦争)。1945年(昭和20年)8月広島と長崎に原爆が投下され、同14日ポツダム宣言を受諾(無条件降伏)、15日天皇が終戦の宣言を放送(敗戦)し、約4年にわたる戦争は終結します。その後1951年のサンフランシスコ条約で日本は国際復帰の道を歩み始めます。(この年は私が生まれる一年前になります)。

 昭和天皇

 昭和天皇の敗戦のラジオ放送(玉音放送)

1945年8月15日

投稿者: なごやかこどもクリニック