院長ブログ

2025.09.08更新

「戦後80年」と「昭和100年」(1)
—憎悪は憎悪によってやまず、愛によってのみやむ―

今年2025年は「太平洋戦争」の終戦(敗戦)からちょうど80年となります。戦時中は「大東亜戦争」と呼ばれていたのですが、日本軍の東南アジアへの侵攻という帝国主義的なニュアンスを含むということで、現在は「太平洋戦争」と呼ばれています。昭和16年(1941年)12月の真珠湾への攻撃からこの「太平洋戦争」と呼ばれているのですが、このきっかけになったのが、日本軍(関東軍)が中国大陸で軍事行動を起こしたことであると思われます(1936年満州事変、1937年盧溝橋事件)。なのでこの戦争は本来は「アジア太平洋戦争」と呼ばれるのが歴史的には正しいのかと考えます。この戦争の当事者が高齢となりその悲惨さを実体験として語れる人が少なくなりつつあります。次の戦後90年にはほぼ皆無になるだろうと言われています。当事者ではないけれど、その親族などが語り部として、その体験を引き継いでいただくことを期待しています。

戦争体験というと、日本への「空襲」とが「原爆投下」といったことが多く話題になります。ただ日本軍が「アジアを開放するため」という美名のもと、インドネシアを占領したり、オーストラリアの都市を空爆し、シンガポールも占領したという事実にも向かい合う必要があります。今回のテレビや新聞報道などでは、こちらの面はあまり取り上げられなかったように感じます。戦争というのは多かれ少なかれ、光の部分と闇の部分があります。また戦うどちらの側にもそれぞれの主張があります。現在ロシアやイスラエルがウクライナやパレスチナを激しく攻撃しています。歴史的なあるいは地政学的な問題もありますが、お互いが憎み合うという負の連鎖が形成されてしまっています。この負のループから抜け出すために、ブッダの次の言葉を噛みしめたいものですね。「憎悪は憎悪によってやまず、愛によってのみやむ」

補足:このコラムは、 池上彰:日本の戦争徹底解説、2025年8月14・21日 夏の特大号(週刊文春)を参考としました。「アジア太平洋戦争」に関してはいろいろな見方、ご意見があることと思われます。このコラムはあくまでも私個人の見解であることを申し添えさえていただきます。 

投稿者: なごやかこどもクリニック

2025.09.08更新

「戦後80年」と「昭和100年」(1)
—憎悪は憎悪によってやまず、愛によってのみやむ―

今年2025年は「太平洋戦争」の終戦(敗戦)からちょうど80年となります。戦時中は「大東亜戦争」と呼ばれていたのですが、日本軍の東南アジアへの侵攻という帝国主義的なニュアンスを含むということで、現在は「太平洋戦争」と呼ばれています。昭和16年(1941年)12月の真珠湾への攻撃からこの「太平洋戦争」と呼ばれているのですが、このきっかけになったのが、日本軍(関東軍)が中国大陸で軍事行動を起こしたことであると思われます(1936年満州事変、1937年盧溝橋事件)。なのでこの戦争は本来は「アジア太平洋戦争」と呼ばれるのが歴史的には正しいのかと考えます。この戦争の当事者が高齢となりその悲惨さを実体験として語れる人が少なくなりつつあります。次の戦後90年にはほぼ皆無になるだろうと言われています。当事者ではないけれど、その親族などが語り部として、その体験を引き継いでいただくことを期待しています。

戦争体験というと、日本への「空襲」とが「原爆投下」といったことが多く話題になります。ただ日本軍が「アジアを開放するため」という美名のもと、インドネシアを占領したり、オーストラリアの都市を空爆し、シンガポールも占領したという事実にも向かい合う必要があります。今回のテレビや新聞報道などでは、こちらの面はあまり取り上げられなかったように感じます。戦争というのは多かれ少なかれ、光の部分と闇の部分があります。また戦うどちらの側にもそれぞれの主張があります。現在ロシアやイスラエルがウクライナやパレスチナを激しく攻撃しています。歴史的なあるいは地政学的な問題もありますが、お互いが憎み合うという負の連鎖が形成されてしまっています。この負のループから抜け出すために、ブッダの次の言葉を噛みしめたいものですね。「憎悪は憎悪によってやまず、愛によってのみやむ」

補足:このコラムは、 池上彰:日本の戦争徹底解説、2025年8月14・21日 夏の特大号(週刊文春)を参考としました。「アジア太平洋戦争」に関してはいろいろな見方、ご意見があることと思われます。このコラムはあくまでも私個人の見解であることを申し添えさえていただきます。 

投稿者: なごやかこどもクリニック