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2010.01.01 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年 1月1日 名古屋市内で初詣
元旦は名古屋市内の神社の初詣をした。広小路沿いにあり私もよく通るのだが今まで参拝をしたことがなかった「朝日神社」を訪れる。伊勢神宮の神領(御園)として歴史のある神社で、清州の朝日郷にあっつたものが約400年前の「清州越え」で名古屋に移されたとのことである。伊勢系の神社なので当然のことながら「天照皇大神:あまてらすすめおおみかみ」を祭っている。昭和初期には名古屋市内では「熱田神宮」に次ぐ参拝者で賑わったようである。今では参拝者もそれほど多くなく、静かな神社という印象であった。 次に本町通りから少し入ったところ(袋町)にある「福生院:ふくしょういん」に向かう。ここでは「大聖歓喜天」が祭られている。ここも歴史は古く1386年ころが発祥のようで、中村の里にあったものが清州に移り更に「清州越え」で現在の地に移転したとのことだ。地元では「袋町のお聖天様」とよばれている。また「観音菩薩」なども置かれ、ここでは神と仏が共存しているという印象が強い。おそらく日本では中世からみられる「神仏混淆」のなごりであろう。「ぼけ封じ観世音菩薩」ともよばれるこの観音様にもお参りしておいた(果たして効果は?)。名古屋七福神の「毘沙門天」も祭られている。神様、仏様さらに七福神と賑やかなところであった。朝日神社 :名古屋市中区錦3丁目
真言宗 福生院(袋町お聖天)
続いて「桜天神」を訪れる。名古屋市内を東西に走る「桜通り」の由来になった神社と聞いてはいたのだが、実際にお参りしたのは今回が初めてである。桜通り沿いの高層ビルの間にあるこじんまりした神社で、車で通ると見逃してしまいそうなところである。
織田信長の父信秀が菅原道真公(845-903)を信仰し那古野城にその木像を祭ったのものが、1538年に現在の地に移されたのがその由来とされている。江戸時代に福島正則が制札を立て、加藤清正がここを本陣として名古屋城築城の指揮をとったとのことである。当時ここは桜の名所で、桜木の下に掘られた井戸が「天神の井戸」として当時名古屋三名水のひとつとされたようである。道真公はいわずと知れた学問の神であり、現在でも多くの大学などの受験生の合格祈願の札がかけられている。今回のお参りで、400年以上も前に設けられたこの神社(道真公)が受験生を通じて脈々と信仰されていることを感じた。
名古屋城築城当時は東西南北10本の道路(碁盤割り)があり、そのほぼ中心にこの「桜天神」が位置している(桜通りと本町通りの交差点付近)。また上野天満宮(千種区)と山田天満宮(北区)とあわせて「名古屋三大天神」と呼ばれていることも今回知った。梅や桜の時期にまた訪れてみたい神社である。
桜天神 名古屋市中区錦2丁目
2009.12.31 名古屋の小児科なごやか日記
12月31日(木) 志摩の雪
私たちの長年の友人で「浜島」に住んでいるTさんが昼前にホテルを訪れてくれた。Tさん(ご主人は画家でもう20年以上も前に亡くなられたのだが)は浜島にあるアトリエ兼自宅から週1,2日名古屋に通いエレクトーンの講師をしている(専門はバイオリン)。年1回私たちはこの時期に会うのが恒例のようになっているのだが、3人でいろいろと話がはずんだ。Tさんは私よりも5歳以上年上のはずだが、考え方が前向きで若々しい。エレクトーン教室で若い生徒さんと接しているせいもあると思われるが、とにかく元気で全く年を感じさせない。話の途中にふと気がつくと雪がちらほら降っている。地元の人にとっても志摩でこの時期の雪は珍しいとのことだ。「賢島」駅までTさんに送ってもらい、帰途につく。年上のTさんから元気をもらいよい年末となった。賢島駅にて。近鉄特急で名古屋に戻る。
2009.12.30 名古屋の小児科なごやか日記
12月30日(水)志摩観光ホテル
例年年末は鳥羽・志摩へ一泊旅行をしているのだが、今回は「志摩観光ホテル」に泊まることとなった。昼ころ近鉄名古屋駅を出発し、「賢島」駅に到着。ホテルは駅から歩いても行ける距離にある。このホテルは海の幸をふんだんに使ったフランス料理で昔から有名だが、最近はあの「華麗なる一族」の舞台にもなりご存知の方も多いと思う(一族で正月をこのホテルで過ごすという設定)。大きなホテルをイメージしていたのだが、玄関などは意外と地味であった。私と家内が泊まるのは旧館(クラシック)で、すぐ近くに新館がある。夕食まで時間があったのでこの新館を訪れる。こちらは規模も大きくモダンなつくりで、スパなどもありいろいろと楽しめそうである。旧館に戻り夕食となる。あわびなど海の幸の豊富なフランス料理はさすがである。ワインもおいしい。ただすごく驚くほど美味しいというわけでもなかった。名古屋でも最近は優れたフランス料理の店がいくつかあり、私たちがそれらに慣れてきたせいかもしれない。「ラ・メール」というこのホテルのメインダイニングでどこかでみたことのある人も見かけた(芸能人?)。それにしてもこの歴史あるホテルで食事をして、ゆっくり眠ることができた(ホテルのため温泉がなかったのは残念であったが)。
ホテルの玄関
ホテル全景
「ラ・メール」にて夕食
伊勢えび
あわびのステーキ
2009.11.28 名古屋の小児科なごやか日記
11月28日(土) 錦の鮨屋「うさぎ」
名古屋の錦に「うさぎ」という鮨処としては一風変わった名前の店がある。錦第一ホテルの1階にあり、場所も良いことから私も長年通った鮨屋さんである。大将の近藤哲二郎さんは、この道40年以上のベテランである。奥さんと二人で切り盛りする家庭的な店(カウンターのみ10席程度)で、私は金曜日の夜外来のあとPM9時くらいに寄って呑んだり、食べたりさせてもらった。ご主人の近藤さんは出身が岡崎で私たち夫婦と同郷ということもあり、気楽に通わせてもらった。ところが大将は糖尿病があり腎機能も悪化してきたため、この「うさぎ」を残念ながら閉店することなり本日が最終営業日となった。この店は現在の場所に移って12年となるとのことだった。私はここに移転する2,3年前から来ているので通算すると15年くらい通ったことになる。大将は大阪で修行して名古屋で店を開いたということで、関西の散らし寿司も美味しくまた江戸前の鮨も絶品である。江戸前の「まぐろ」のづけ(まぐろを醤油で浸したもの)はこの店の名物といってもいいくらいである。実際私もこの店で始めてこの「づけ」を体験した。
「うさぎ」という店名の由来を一度聞いたことがあるが、大将のお姉さんと奥さんが「うさぎ年」であることから命名されたようだ。どちらかというと無口で淡々と鮨を握る大将と、明るくて社交的な奥さんのコンビはなかなかなものである。また大将は「大相撲」と何らかの関係があるようで、横綱の朝青龍がこの店を訪れたときの写真が飾ってある。
長年にわたっておいしい鮨を握ってくれた大将には、ご苦労様といいたい。鮨だけでなく、茶碗蒸しや各種珍味(「ばちこ」など)もこの店独特のものである。またあまりプロが握らない「いなり寿司」もおいしかった。ぜひ腎機能を回復されて、またいつかどこかで鮨を握ってほしいと願うのは私たちだけではないであろう。今日は私たち夫婦以外にも、長年の常連さんが「うさぎ」での最後の鮨を楽しむために集まった(静岡から来たお客さんもあった)。今日は息子さんが手伝いにきていた。大将や奥さんとのまたの再会を期待しつつ店を出る。
鮨ねたケース: こはだ、えび、しゃこなど
仕事中の大将と奥さん
ねたを選ぶ大将
鮨(いなり、あなご)。
日本酒 「契(大吟醸)」サカツコーポレー ション(本社、名古屋)
珍味「ばちこ」(なまこの卵巣の干物:大将の手作り)。
私もここで初め て体験。その形が三味線の「ばち」に
似ていることから「ばちこ」と呼ばれるようだ。
店の前で奥さんとともに。さようなら「うさぎ」さん。
2009.10.11 名古屋の小児科なごやか日記
10月11日(日) ハロウィン祭り&講演会
「NPO法人なごやか親子ネット」を今年5月に設立後最初のイベントを名古屋栄のナディアパークで行った。この日は天気もよく大勢の方々に来ていただいた。2階のアトリウムで「キッズダンス(富永さん)」「マジックショー(横井さん)」そして「プリスクールの先生と英語で遊ぼう(木村さん)」などの出し物を行い、好評を得た。ミュージシャンの山田パンダさんも懐かしいものから子供向きのものまで(崖の上のポニョなど)歌っていただいた。また「バルーンアート」をピエロに扮した4人の方に披露していただき、子ども達に大好評であった。「手作り体験コーナー」では粘土、フラワーアレンジなどを行いお子さんたちが楽しんでくれたようである。クリニックでもこれまでいろいろなイベントを行ってきたが、今回は場所も名古屋栄の一等地で規模もかなり大きく、準備などにも相当な苦労があった。NPO事務局の近藤を中心に多くのボランティアの方々に支えられ何とか成功裏に終わったことで、よい経験となり今後の活動への1つのステップになったように感じる。6階では子どもに関する2つの講演が行われた。まず清流みずほ幼稚園(瑞穂市)の加納大裕先生による「子どもをよくする7つの魔法」というお話であった。加納先生は自然や日本の伝統などを取り入れた、独特の幼児教育(リーベリー教育)を実践されている。「子どもに対してせかせず、何事もゆっくりさせるといろいろなことができる」ことや「音楽(リズム)とともにお手伝いをしてもらう」ことなど、子育てにも役に立つ内容のお話であった。「夜は早く寝て、生活のリズムを安定させること」が重要という点は私たち小児科医と同じ意見であった。子どもであっても「本物」を体験させるという先生の理念が伝わる講演であった。
続いて安原こどもクリニック(寝屋川市)院長の安原昭博先生が「発達障害の子ども達とのつきあい方」という講演をされる。安原先生は長年にわたり発達障害のお子さんを診られていて、その体験からのお話は興味深いものであった。ADHDのお子さんは特別な才能をもつことも珍しくなく、発明王のエジソンやアインシュタインもADHDであった可能性が高いとのことであった。発達障害のお子さんも適切な指導を受ければその才能を発揮することができるという前向きな話であった。安原先生のユニークな視点からの講演お聞きして、ADHDや自閉症が身近に感じられるようになった。
清流みずほ幼稚園 園長 加納大裕 先生
2009.10.03 名古屋の小児科なごやか日記
10月3日(土)学会最終日
本日で学会最終日となる。昼のランチョンセミナーの「進化からみたヒトの子供の特殊性」が面白かった。人類学者の長谷川真理子先生による講演で、ヒトの子供を他の動物(チンパンジーなど)と比較した話である。ヒトでは幼児期から思春期(生殖期)にいたる「こども時代」が他の種に比べ非常に長いとのことである。人間の文明が高度に発達したため、この社会の一員として適応するまでの訓練期間として長期間の「こども時代」が必要になったらしい。確かに小中学校から高校や専門学校さらには大学と教育訓練期間が長く、二十歳近くなってやっと一人前の大人となる(最近では二十歳すぎても自立しない若者も見受けるが)。この教育は親だけでできるものではなく(ヒト以外の動物は原則家族内の教育のみ)、社会全体でとりくむ必要があるというようなことを言われたように思う。確かに現代の子育てが「家庭内」のみになりがちで、様々な問題が引き起こされている原因のひとつがここにあるのかも知れない。また普通の動物は生殖期(繁殖期)が終わると死に至るのが普通だが、ヒトの場合は老後の時期が長い。なぜヒト(特に女性)ではこのような事態が起こったのか。医療が発達したということもあるが、高度に発達した人間社会では、長生きした人の知識や経験をより若い世代に伝えることが必要になるようだ。このように考えると、おばあちゃん(おじいちゃん)が娘の子育てを手伝うことは、人類学的に見ても理にかなっているようだ。霊長類の頂点にいるヒト(ホモサピエンス)の文明を支えている要因の一つは、この長い「小児期」と「老人期」なのかも知れない(私の勝手な拡大解釈か?)。このあとのシンポジウムは「1型糖尿病の新しい治療法(CSII):川村先生」と「思春期発来異常:田島先生」に関するもので、どちらも興味深いものであった。来年の本学会は大阪で藤田敬之助先生が担当される旨を報告される。最後に会長の有坂治先生が閉会の挨拶をされ学会は終了となった(事務局長の小山さとみ先生もご苦労様でした)。夕方某製薬会社が主催する研究会に出席する。小児内分泌分野での経験豊富な先生方(開業医)が全国より一堂に会する、迫力のある研究会の発足であった。この後2,3人でやはり「泉町通り」に繰り出しお酒を楽しみ、やや疲れ気味の私はホテルに戻り眠りにつく。明日は東京を経由して名古屋へ戻る。宇都宮餃子をお土産にしよう。宇都宮の印象は「ジャズ」「カクテル」そして「餃子」といったところか(またしても呑むこと、食べることになってしまったが)。
2009.10.02 名古屋の小児科なごやか日記
10月2日(金)As time goes by
朝から学会場へ。昼からのポスター発表では名大小児科の岩山先生が「脳腫瘍手術後に成長ホルモン治療を必要とした症例とそうでなかった症例の比較」の報告を行った。これが今学会での私どもグループの唯一の発表となった。特別講演は英国のDr.Hughesの「性発達異常の新しい分類」という内容で、かなり専門的なものであったが、この分野の世界の流れが感じられる内容であった。シンポジウムでは「早産児における低サイロキシン血症」が話題となった。いくつかの講演があったのだが、印象深かったのは藤枝憲二(旭川医大教授)先生の学会賞受賞講演であった。先生の30年にわたる小児内分泌の研究と臨床について海外での経験なども含めて話をされたが、まさにこの分野の発展の歴史といっていい内容だった。特に若い先生方(研究者)に向けて本音でご自身の研究の挫折なども話され、彼らにこの分野での今後を期待されていることが切々と感じられた。大病をおしてのご講演であり、私を含め会場の多くの人に深い感銘を与えたことは間違いない。イーブニングセミナー終了後、名大小児科のI先生、N先生そして久しぶりに会う島根医大小児科のO先生と宇都宮の中心部にあるいろいろな飲み屋が集まったところで呑む。カウンターに5,6人も座ればいっぱいになるような店だったが、昔懐かしい居酒屋という感じで酒、焼酎などを呑む。O先生はいつも楽しく酒を呑める友人でもあるが、甲状腺の分野(分子生物学)でのかなりのレベルの研究でこの領域では小児内分泌の第1人者である。この研究でもお酒でもスーパーなO先生とひと時を過ごしてI先生やN先生も感銘を受けたようである。
この町はカクテルでも有名なようで、このあと4人で学会場に近い「泉町通り」にある「As Time Goes By」という店にO先生のお勧めで行く。看板も目立たず静かな店だが、カクテルもなかなかで雰囲気のいい店であった。「As Time Goes By」といえば私より上の年代の方はご存知と思うが、イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボカートが主演するモロッコの町「カサブランカ」を舞台とするアメリカ映画(1942年)で歌われる曲である。第二次世界大戦を背景に、ヨーロッパよりこの町に避難してきた二人(元恋人同志)がこの町で再会し、ボカート(映画の中ではリック)が経営する店で黒人歌手のサムがピアノを弾きながら渋い声で歌うのがこの「As Time Goes By」である。この心にしみいるような暖かい曲は今でもジャズクラブなどで歌われている。二人が飛行場で別れるシーン(バーグマンがアメリカに向けて飛び立つ)と「君の瞳に乾杯」というセリフはあまりにも有名である(もっと書きたいのだが、今回はこのへんまでにしておこう)。
岩山先生の発表ポスター(脳腫瘍と成長)
宇都宮の居酒屋でごきげんな4人組: 上條、O先生、I先生、N先生
カクテルバー「As Time Goes By」 : 外からはほとんど分からない隠 れ家的バー
2009.10.01 名古屋の小児科なごやか日記
10月1日(木) 宇都宮餃子
東京から東北新幹線に乗り約1時間弱で宇都宮に着く。昼ごろついたのでこの町で有名な「宇都宮みんみん」という店で餃子を食べる。なかなかの味で値段も手ごろである。今回の学会の会場(栃木県総合文化センター)から歩いても近い距離にある店だ。JR宇都宮駅から「大通り」をまっすぐ行った町の中心部にある「二荒山(ふたあらやま)神社」を訪れる。歴史の古い神社で、蝦夷平定にこの地にはいった「豊城人彦命」を祭ったもので、今から1600年以上前に作られたようだ。その由来から武運の神として祭られ、源頼朝や徳川家康が武運長久のため祈願したといわれている。このあと小児内分泌学会場にはいる。今回の会長である独協医大小児科教授の有坂治先生の開会の挨拶のあと、数々の口演発表がありどれも興味深いものであったがここでは省略する。
夕方イブニングセミナーがあったので参加する。「SGA性低身長―よりよい治療をめざしてー」というテーマで、成育医療センターの横谷進先生と英国のDr.Dungerがそれぞれの立場から講演をされる。SGAはsmall for gestational ageの略で出生体重、身長が在胎週数にくらべて少ないお子さん(低出生体重児)のことである。日本でもこういったお子さんに成長ホルモン治療ができるようになり、その効果と問題点について様々な点が話題となり興味深い内容であった。
学会初日の夜は名古屋から来た中堅―若手の先生と夕食。この町はジャズも盛んでいくつかのライブの店などがある。3人でその中の一つの店に入る(近代人とか いう店だった)。この日は演奏はなかったが、若き日の渡辺貞夫とこの店のマスターの少しくすんだ写真が印象的であった(渡辺貞夫はこの地の出身か)。
写真1 宇都宮みんみん
写真2 宇都宮餃子
写真3 二荒山神社
2009.09.30 名古屋の小児科なごやか日記
9月30日(水) 東京女子医大
明日より宇都宮で小児内分泌学会があるため、午前中の診療を済ませ午後より東京に向かう。以前より東京女子医大の小児科の勉強会で何か話しをとの依頼があったため、今回女子医大を始めて訪れる。東京女子医大といえば吉岡弥生女史により設立された歴史の古い伝統の有る日本を代表する医学部である。東京駅からタクシーで新宿へ約30分ほどで到着。内分泌センター、糖尿病センター、循環器センターなどの建物が立ち並ぶ大きな病院群である。これらのセンターとは道を挟んで反対側にある1号館という建物にはいる。少し古いが風格のあるこの建物はかつて外来や病棟などとして使われていたようだ(東京駅を設計した技術者によるとのことだった)。今回私を呼んでいただいた小児科の準教授(助教授)の永木茂先生が迎えてくれた。永木先生とは学会や研究会などでよくお会いする仲である(その縁で今回呼んでいただいた)。この建物の2階の一室に約25人ほどの小児科の先生方(医局員)が集まり、そこで私が米国留学中と帰国後に行った「成長ホルモン遺伝子の解析」についてお話させていただいた。今から10年以上も前の仕事で恐縮ではあったが、これらの研究の歴史的な背景などを説明させていただいた。当然のことながらここでは女性医師が多く、約1時簡にわたる私の話を聞いていただいた。私の拙い話がこれら若手の先生方の臨床の場で多少でも参考になれば幸いである。
この後、永木先生や関係者とで食事に向かう。赤坂にある沖縄料理の専門店で料理と泡盛などを堪能する。創始者の吉岡弥生先生が静岡県掛川市(大東町)の出身で、看護学部がこちらにあることなどが話題となる。掛川は私ども夫婦で時々訪れる町で、意外なところで女子医大との縁があったことを知る。貴重な体験をさせていただいた永木先生に感謝しつつ、東京駅近くのホテルに戻る。
東京女子医大 1号館
東京女子医大小児科の皆さんと
永木先生とともに食事
2009.09.13 名古屋の小児科なごやか日記
9月13日(日) さんぷる工房
朝食を済ませて車で「郡上八幡城」まで行く。高台にあるこの城からは長良川とその支流の吉田川とのあいだの盆地にある郡上の町が一望できる。昨日と違い今日は晴天で心地よい。この城は1559年に遠藤盛数(初代城主)が八幡山に築いたもので、郡上は城下町であったことを知る。また大河ドラマでも話題となった山内一豊の妻として知られる千代がこの地の出身で盛数の娘である(違うという説もあるようだが)ことがその肖像画(見性院)とともに城内に展示されていた。このお城を後にし、I君夫妻お勧めの蕎麦を食べたあと街中を歩く。さすがに水が豊富で、「宗祇水」と呼ばれる日本の名水に選ばれているところで水を飲む。評判どおり透明感があり少し味わいのある水であった(ミネラルが豊富なためか)。食堂などにある精巧な「食品サンプル」発祥の地がこの町で、「さんぷる工房(岩崎グループ)」では体験コーナーがありサンプル作りが楽しめるようになっている。我々は体験はしなかったが、いくつかの果物やお菓子などのサンプル(携帯ストラップなど)を購入。私も高校生の姪へのお土産に「さくらんぼ」と「苺」のストラップを買う。この町にはそれほど大きな建物(ビルなど)もなく、古き良き日本のたたずまいを残している。もちろん大きなお寺はいくつかあるが。お寺といえば私たちが訪ねた「慈恩護国禅寺」の庭(日本庭園)はとても静かで美しく、京都の苔寺や龍安寺の石庭を思わせる。八幡城主の遠藤氏、金森氏ゆかりの寺とのことだ。
郡上八幡は人口約4万5千という小さな町だが、このような町が日本にもまだ残っていることがうれしいことである(我々旅行者と違って、ここで暮らす人にはそれなりの問題もあるかもしれないが)。有名な「郡上踊り」のシーズンのあとであったので比較的宿などもすいていた。秋には紅葉が美しいようで、ぜひそのころにも訪れてみたいものだ。
宿の朝食: 山菜と朴歯味 噌
郡上八幡城: この城は再建された ものである
慈恩護国寺の庭園
街中を流れるきれいな水
さんぷる工房の携帯ストラップ: レモン、さくらんぼ、いちご
2009.09.12 名古屋の小児科なごやか日記
9月12日(土) 郡上鮎
中学、高校時代の同級生のI君夫妻とK君、私たち夫婦の5人で郡上を訪れる。緑と水にあふれるこの町は一度行きたいと思っていたのだが、今回やっと実現した。私達はクリニックの外来終了後、PM2時ころ名古屋を車で出発し、東海北陸自動車道の郡上八幡ICを降りる。名古屋から約1時間半で本日の宿「吉田屋」に到着。蒲郡を出発したI夫妻と岡崎で合流したK君もほぼ同時に宿に到着。この「吉田屋」という料理旅館は歴史のある宿で、あの食通で有名な「北大路魯山人」や数々の文化人が訪れたようである。郡上を何度も訪れているI君が予約をしてくれた。私たちが通されたのも趣のあるしっとりとした和風の部屋で、中庭の緑が小雨にぬれて美しい。温泉ではないが、きれいな水を沸かした風呂を浴びたあと夕食となる。いよいよ今回の旅の最大の目的である「郡上鮎」の登場。天然の鮎というと小ぶりというイメージが強かったのだが、かなりの大きさである。さっぱりとしていながら鮎独特の香りが何ともいえない。この他にも味噌で味わう鮎や、刺身など鮎尽くしの料理を堪能する。「吉田屋」の鮎は友釣りでとれる地元でも最高のものである。たまたま先週東海テレビで、郡上に残る最後の鮎釣り名人が紹介されていた。この名人が釣る天然鮎がこの旅館に納められるようである。この鮎尽くしにすっかり満足した私は、いつもより早めに眠りにつく。
郡上鮎(天然鮎)
私たちが泊まった部屋の紹介写真
私たちが泊まった部屋と庭
2009.08.30 名古屋の小児科なごやか日記
8月30日(日) 「 一社アレルギー科・こどもクリニック」 開院
鳥居新平先生と鳥居明子先生ご夫妻がアレルギー専門クリニックを開院されることになり、この日の内覧会に家内と共に出かけた。鳥居新平先生は名古屋大学医学部小児科の大先輩であり、小児アレルギーの診療・研究の第一人者であり、また私が上飯田第一病院小児科在職中に大変お世話になった先生である。クリニックは地下鉄「一社」駅から歩いて1-2分のバスターミナル向かいのビルの1階にあった。玄関を入るとすぐ右手に「花粉払落ブース」があるのが、いかにもアレルギー専門クリニックらしい。私も入ってみたが花粉を落とすだけでなく、衣服の消臭もできるようである。清潔で明るいクリニックで、面積は私どものクリニックと同じくらいとお聞きしたが、天井が高い分より広く感じられる。この日は内覧会のためかカラフルな風船が置かれ、こども達もそれをもらって楽しそうにしている。診察室やレントゲン室も明るく工夫され使いやすそうである。また当然のことながら内装も「シックハウス」対策が十分なされている。
以前上飯田第一病院小児科に勤務していた看護師さんが常勤として活動するようである。鳥居新平先生は火曜日の上飯田第一病院のアレルギー外来は今後も続けられるとのことであった。「一社」に来ることはこれまで少なかったのだが、地下鉄駅の近くにはかなり多くのクリニックがある。鳥居先生のクリニックには名古屋市内あるいは県外からも多くのアレルギーの患者さんが訪れることだろう。いずれにしても市内の名東区と北区に信頼できるアレルギー科があることは、患者さんにとっても心強いことと思う。
クリニック入り口(内覧会受付)
入り口右手にある「花粉払落ブース」
院内にあふれる風船
鳥居新平・明子先生とともに
2009.08.17 名古屋の小児科なごやか日記
8月17日(月) 看護師さん募集中
このブログも書き始めて約2年となりました。クリニックの行事から全く個人的なことまで気ままに書かせてもらっています。「呑んだり、食べたり、音楽を聴いたり」といった私の個人的な嗜好に関する内容が多いことは皆さんお気付きのことと思います。こんなものでもいろいろな方に見ていただいているようです。その中には医療関係の方もみえるようです。そこで今回はクリニックの事情について書いてみたいと思います。これまでクリニックで働いてくれた小児科勤務の経験ある看護師さん(パート)が、ご主人の仕事のため名古屋より転居となりこの9月に退職されます。これに伴いパートの看護師さんを1名募集しています。小児科の経験のある方あるいはない方でも、私どものクリニックで活動してみたいという方を探しています。待遇などはこのホームページの募集要項をご参照下さい。また常勤の看護師さん(小児科の経験3年以上ある方)も同時に求めています。一般小児科(予防接種など含む)と小児内分泌の外来患者さんの看護(介助、採血など)が主な業務となります。一般小児科は夜間外来(PM6-8時)も行っています。夜間外来も週1,2回勤務していただけるとありがたいです。パートの方については勤務時間(午前、午後)は個々に相談に応じます。私の目からみても、皆さん和気藹々と仕事をしてもらっていると思います。私たちとともに子供さんのために働いてみませんか。少しでも興味あるかたがありましたら、下記のメールまでご連絡(お問い合わせ)下さい。
kamijo@nagoyaka-child.com
2009.08.08 名古屋の小児科なごやか日記
8月8日(土) 長良川の鵜飼
毎年夏にクリニックのメンバーで長良川の鵜飼を楽しんでいる。昨年は8月末に予約したため雨と雷の中での鵜飼で、大変な思いをした。今年はおだやかな天候で、楽しい鵜飼となった。クリニックをPM4時半にマイクロバスで出発する。今年は代務に来ていただいているT先生夫妻と娘さんを含め総勢15人で出かける。ちょっとした遠足気分で、子どもたちはバスの中ではしゃいでいる。PM6時前に岐阜市内を通り、いつも利用するホテルに到着。一休みした後、屋形船(20人乗り)に乗船する。ここでまず食事とビ-ル、お酒となる(子どもはジュース)。まだ周囲は明るく、鵜飼の雰囲気とはならないが風も少しずつ涼しくなる。PM7:30を過ぎると周囲も徐々に暗くなり鵜飼らしい雰囲気となる。鵜匠3人が数羽の鵜を引いて鵜船を進める。数隻の鵜船が闇の中をかなりの速さで進む。細かい部分は見えないが、松明の明かりが川面をすべるように進む。我々の乗った屋形船もこれに並行して進む。さすがに1300年以上続くこの「鵜飼」の優雅さ、あるいは「幽玄」ともいえる美しさを感じたのは私だけではないであろう。子どもたちもしっかりと見入っていた(昔の鵜飼のほうが本格的でより美しかったとのことだが)。あの喜劇王のチャップリンも2度この鵜飼を鑑賞し、日本の美として絶賛したということだ。芭蕉の句「おもしろうて やがてかなしき 鵜船かな」を思い起こす。
ひと時の夏の夜を長良川ですごした後は、マイクロバスで名古屋へ戻る。行きにははしゃいでいた子どもたちも静かで、心地よさそうに眠っている子もいる。かくいう私も、お酒の酔いと満足感が体中をめぐりいつの間にか寝入ってしまった。ところで現在のわが国は政治、経済ともに停滞し、このままいくと経済破綻(国家破産)する可能性も低くない。さらに日本という国そのものが存亡の危機にさらされることを憂いている。仮に将来地図上に日本という国が消滅したとしても(中国の一部になっているかもしれない)、この「鵜飼」のような日本の伝統だけはなくならないだろう(なくしてはいけない)。千年以上続く伝統文化をいくつか持つ民族というのは、地球上にそれほど多くないだろう。そんなことを考えさせられた夏の一夜であった。
長良川: 屋形船
圭太郎君とともに
乗船前:全員集合
屋形船で宴会
屋形船の子どもたち
鵜飼船の松明
2009.07.19 名古屋の小児科なごやか日記
7月19日(日) 安房峠を越え松本へ
朝風呂と朝食の後「湯元 長座」を出る。今日も小雨だが、宿を包む山の緑が瑞々しく美しい。バスで平湯まで行き、松本行きのバスに乗り換える。岐阜県と長野県をつなぐ「安房峠」を貫くトンネルができてかなりの年月になるが、今回初めてこのトンネルを通る。それほど長いトンネルではないが、高山から松本へ車で抜けられる(国道158号)というのは画期的なことと思う。東京方面から平湯などに来る観光客が増えているようだ。さすがに夏休みにはいったためか、松本市内は多くの車でかなり渋滞している。松本で軽い昼食を済ませ、特急しなので名古屋に帰る。松本(正確には旧南安曇郡)は私の父の出身地で親戚も市内にあるのだが、今回は時間の関係もあり立ち寄れなかった。上條という名前は名古屋では少ないのだが、松本ではポピュラーな苗字である。小学校のクラスの1/3近くの姓が上條という地区もあるほどだ。
福地温泉 「湯元 長座(ちょうざ)」
「湯元 長座」 玄関で
私たちが宿泊した部屋:梁の太さに注目
私たちが宿泊した部屋: 囲炉裏がある
囲炉裏端での夕食
夕食:山菜料理
福地温泉を出発
2009.07.18 名古屋の小児科なごやか日記
7月18日(土) 秘湯福地温泉(奥飛騨温泉郷)
昨日に続き天候は今一つだが、朝宿を出て昼まで高山市内を歩く。高山へは何回も来ていて主なところは訪れているので、今回は「高山昭和館」という比較的地味な場所に立ち寄る。街中の一角にあるこの博物館は思ったより規模が大きく、昭和30年代の町並みが再現されている。電気屋、美容室、交番から学校の教室まで再現されている。ちょうど私が小学校低学年のころにあたり、懐かしいものがいくつかあった。中の映画館で「東京オリンピック」までの経過が白黒の映画で上映されていた。オリンピックに向けて急速に東京の街が開発されていく様子がよくわかる。そういえば私も小学校の体育館で「東京オリンピック」を皆と一緒に見たのを思い出す。昭和館から高山駅へ行く途中にある「飛騨国分寺」という古いお寺に立ち寄る。樹齢1200年を越すというみごとな巨木があった。偶然だが、この日の宵に中国出身で今は名古屋を中心に活動している「張濱」という私の知り合いの二胡奏者がこの寺の境内でコンサートを行うことを知る。私たちは昼から「平湯」方面へ移動するため参加できないが、張さんが活躍しているのはうれしいことだ。高山駅からバスで平湯へ向かう。平湯から新穂高温泉行きのバスに乗り換える。「福地温泉下」というバス停で降りると、今日の宿泊先である「湯元 長座」が目の前にある。山の斜面を利用したとても大きな宿で、面積は数千坪あるとのことだ。入り口から帳場までかなりの距離を歩く。どの建物も古い味わいのあるもので、梁などは非常に太く黒光りしている。私たちの泊まった部屋にも「囲炉裏」があり、広々として快適である。温泉は部屋からかなり歩いたところにあるが、浴槽は檜ばりで、お湯も大変良い。部屋からも温泉からも回りは美しい緑の自然がみられ、大自然の中にいるという感じになる。夕食も飛騨牛や地元の食材でおいしい料理を囲炉裏であぶりながら楽しむ(もちろん地酒も)。この食事中に宿のご主人が挨拶にみえる。この福地(ふくじ)温泉は歴史は古い(平安時代ころより)のだが温泉宿ができたのは比較的新しく、このご主人も元は農家だったのが40年くらい前にこの宿を作ったとのことであった。古い豪農の館を移築してできたのがこの「湯元 長座」である。この宿は一部温泉好きの間では有名で人気があり、「日本の秘湯」として登録されている。この夜は自然に包まれるようによく眠れた。
「高山昭和館」 診療所
「高山昭和館」 当時の学校
「高山昭和館」 昭和横丁
「高山昭和館」 駄菓子屋
「飛騨国分寺」 三重の塔
「飛騨国分寺」 大イチョウ :樹齢1200年を超えるといわれている
2009.07.17 名古屋の小児科なごやか日記
7月17日(金) 少し早めの夏休み
今年も17(金)、18(土)と夏休みをいただいて、クリニックを休診とさせていただいた。海外旅行に行きたいところだが、このインフルエンザ騒動の時には避けたほうがいいだろうということで、国内旅行となった。午前中家内と列車で名古屋を出発し、昼すぎに高山に到着。名古屋では暑かったのが高山駅で列車を降りると「ひんやり」とした感じ。市内を観光して本日の宿「宝生閣:ほうしょうかく」に入る。「城山公園」の麓の高台にあり、高山の街が見渡せる。和風のしっかりした旅館で料理もおいしい。廊下やエレベーター内まで畳が敷き詰められ、部屋から風呂までスリッパなしで(素足で)歩けるのが心地よい。夕食のあと宿の中にある「バーコーナー」に行こうと思っていたが、部屋に戻ったら温泉の心地よさもあってかいつの間にか眠ってしまった(昔はこういうことはなかったのだが)。
高山の地酒「山車:さんしゃ」 原田酒造場
高山の酒 「深山菊:みやまぎく」 船坂酒造
高山市内でみられた「ツバメの巣」
高山の宿 「宝生閣:ほうしょうかく」
2009.07.16 名古屋の小児科なごやか日記
7月16日(木) パリ祭 2009
この日の夕方(PM6:00より)名古屋・栄の愛知県芸術劇場にて「パリ祭 2009」が開催された。この「パリ祭」は東京や名古屋でほぼ毎年開催されているのだが、今回は大物や今話題のゲストを迎え華やかに開幕せれた。このブログでもおなじみで私の友人でもある「かとうえいこ」さんも出演するため、私と家内そして榊原洋子ちゃんなど何人かの友人と出かけた。ほぼ満席の会場で山本リンダの「夢みるシャンソン人形」「パリのあやつり人形」で第1部がスタートした。山本リンダといえば昔懐かしい歌手であるが、最近はこの「パリ祭」によく出演している。しかも今回は司会者も兼ねている。彼女は私より年上だったと思うが、あの日本人離れしたプロポーションは(確かハーフだったか)昔と変わらない。1部の中ほどでかとうえいこさんが「神の思いのままに」を歌った。そして1部の最後(トリ)は最近有名なあの「クミコ」さんだ。「モン・デュー」と「届かなかったラブレター」を独特のハスキーボイスで歌い上げる(後者はシャンソンではないが)。さすがに全国的にファンの多い歌手だけあって魂を揺さぶるような聞き応えがある。第2部はまた山本リンダの「巴里の屋根の下」ではじまる。ゲストの安奈淳(元宝塚)が「アコーディオン弾き」など、戸川昌子が面白おかしく「商売やめた」(この人はコメディアンだったか?)を歌う。そして今回のゲストのなかでも最大級の歌手は「雪村いづみ」である。この人は「美空ひばり」「江利ちえみ」などと当時三人娘として活躍した歌手で、今はかなりの年齢になるはずだ。「雪村いずみ」がまだ現役歌手として歌い続けていることをうかつにも知らなかった。さすがに見かけでは年齢を感じさせるが、歌声は昔のように若々しくはりのあるものだった。第2部の最後(オオトリ)はおなじみの菅原洋一で「バラ色の人生」を美しく歌い上げる。菅原洋一は「今日でお別れ」などで有名な人だが、最近はシャンソンをよく歌っている。
今年のパリ祭は一緒に参加した友人たちも楽しんでくれたようだ。かとうえいこさんの歌が1曲だけだったのがやや残念ではあったが、あれだけの大物歌手が揃えばしかたないことか。とっくに60歳を超えた菅原洋一や雪村いずみがほんとうにすばらしい仕事をしているところを目の前にして、私などまだまだ努力しないといけないと感じた一晩だった(仕事、音楽、家族、酒?)。このあと榊原洋子ちゃんたちと夕食を兼ねた呑み会となったことはいうまでもない。
2009.07.04 名古屋の小児科なごやか日記
7月4日(土)3回目の七夕祭り
今年で3回目となる「七夕会」をクリニック待合室でPM2:30より開く。15組以上のご家族に参加していただいた。毎回プロの音楽家に演奏をお願いしているのだが、今回はトランペットの西崎佳代子さん、ソプラノの山中敦子さん、ピアノの木戸恵理さんに来ていただいた。西崎さんはこれまで何度もクリニックで演奏していただいている、一児の母でもある。山中敦子さんはクリニックは今回が初めてであるが、愛知県立芸術大学大学院卒業後イタリア(ローマ)でオペラの研鑽後幅広く活躍しているソプラノ歌手である。木戸絵里さんも同大学大学院卒業でピアニストとして山中さんと演奏を行っている。前半はクラシックで「オペラアイーダより凱旋行進曲」「サンタルチア」「タイムトウセイグッバイ」などの本格的な演奏で、特に山中さんのソプラノはさすがプロで、こんな小さな会場で聞けるのは珍しいことだろう。後半は「となりのトトロ」「もののけ姫」「崖の上のポニョ」など子ども達にもなじみ深い曲で一緒に口ずさむお子さんもいた。最後は「ミュージカルマイフェアレディより踊り明かそう」で華やかにフィナーレとなった。音楽の後は保育士の森さんと鞆さんによる「絵本」の読み聞かせや、「おもちゃの楽器つくり」などで楽しい時を過ごす。それぞれ記念写真を撮り閉会となる。短い時間であったが皆さんが喜んででいただけたようで、私共スタッフにとってもほっとする瞬間であった。
西崎佳代子(トランペット)、山中敦子(ソプラノ)、木戸恵理(ピア ノ)
保育士の鞆(とも)さん、森さん
みんなでおもちゃ(楽器)づくり
笹飾り
西崎ファミリーとともに
2009.06.27 名古屋の小児科なごやか日記
6月27日(土) はじめての接遇講座
クリニックとして初めての「接遇講座」を受ける。この日の外来終了後「ウイル愛知」の会議室に私共クリニックより11名、北区にある「たいようこどもクリニック」と調剤薬局から数名が参加する。講師は元日本航空(JAL)のスチュワーデスで現在独立して接遇インストラクターをしている渡辺宣子さんである。「電話の対応」や「話し方」など具体的なこともさることながら、「相手の立場」にたって「心のこもった」おもてなしが重要なことを学ぶ。JALでの接遇の話はさすがプロ中のプロという徹底ぶりであった。参加者同士のロールプレイイングも楽しかった(患者さんとスタッフの役)。また現在はこのような講座を市役所や警察署などでも受けているということもお聞きした(そういえばこういうところでも対応が良くなっている)。私どものクリニックも接遇には力をいれてきたつもりであったが、更にレベルアップする必要性を感じた。ある製薬会社の後援で実現した講座だが、これからも続けてほしいという参加者からの声が多かった。また今後の課題もいくつか見つかった。このあと時間の余裕のある者でビアガーデン(中日ビル)に行く。この梅雨時、勉強の後のビールはいつにも増しておいしかった。
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