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2011.12.13 名古屋の小児科なごやか日記
11月13日(日) 「つぼい」で利き酒会
私がよくお酒を買いに行く酒の「つぼい」(名古屋市、御器所の西友近く)で利き酒会があった。この「つぼい」は蓬莱泉(関谷醸造)の品揃えが豊富なことで有名だが(空、美、朋など)、この日は「一念不動:純米吟醸」が出品されていた。その他「菊姫 純米(石川県)」や「酔鯨、美丈夫(高知県)」という酒飲みなら誰でも知っているようなお酒から、「菊石(豊田、猿投)」や「ほしいずみ(知多、阿久比)」といったそれほど知られていないが実力派の愛知県の酒などが揃えられていた。また名古屋市、緑区(大高)のお酒で最近有名な「醸し人 久平次」と同じ地区で醸造される「神の井」も置かれていた。この「神の井」は熱田神宮に奉納されるお酒で、私も最近はよく飲んでいる。酒の「つぼい」 巨大な「空」が看板となっている
会場風景;おつまみの販売。中央奥が店主の息子さん
有料試飲酒: 1-8(8が美丈夫)。 1は宮城、2は福島のお酒。
無料試飲酒 1-6(6は神の井)
無料試飲酒 7-13(12が一念不動、13が玉柏)
ただいま試飲中!中央は「蓬莱泉」の醸造過程の説明映像
「蓬莱泉 特別純米 原酒」を2本購入する。お酒を注いでいるのは「蓬 莱泉』(関谷醸造)の職人さん。
購入した「蓬莱泉」を家で飲む。
利き酒コーナー:: 説明しているのは店主の息子さん(顔が切れてし まった)。
2011.09.19 名古屋の小児科なごやか日記
9月19日(月) 東大寺と興福寺
朝宿を出てまず東大寺に行く。東大寺は西暦752年に聖武天皇により建立された寺で、世界遺産にも登録され奈良を訪れる人がほぼ確実にお参りするお寺であろう。大仏像はさすがに巨大だが、子どもの時に見たときはもっと大きく感じたような気がする。創建1300年を迎える藤原氏の氏寺である興福寺(飛鳥藤原京より移築)も世界遺産に登録され、やはり多くの人が訪れている。中でも「阿修羅像」には人だかりができていて、大変な人気である。意外と小さい阿修羅像は漆作りということだったが、憂いを帯びた少年のような表情の像は1300年も前のものとは思えないほどだ。藤原氏の氏神である春日大社は初めて参拝したが、さすがに木々に囲まれた神々しさは厳粛な雰囲気を醸し出している。このあと酒蔵の「春鹿」を訪ねる。このあたりは「奈良町」という地区でお寺や格子戸の民家が立ち並び趣のあるところである。「元福寺:がんこうじ」という南都七大寺の一つを参拝する。飛鳥から移された寺が発祥というとんでもない歴史を持つこの寺も、平成10年に世界文化遺産に登録されたとのことである。酒蔵はこの元興寺から歩いて数分のところにある。明治17年に開かれたこの蔵(今西清兵衛商店)へは今回初めて来たが、いろいろな種類の酒が醸造されている。玄関を入り蔵のなかで早速「きき酒」をする。有料(400円)であるが5種類のこの蔵の酒を味わえる。このうち純米吟醸生の「ひやおろし」とにごり酒(シャンパンのような味がすばらしい)を購入する。お寺参りのあと酒を楽しむというのはやや「ばちあたり」かもしれないが(これくらいは許されますよね。般若湯ともいわれるくらいだから)。
夕方近鉄奈良駅から帰りの高速バスに乗る。台風が近づき途中から雨が激しくなってきたが、程よい「酔い」であっという間に名古屋に到着した。高速バスを利用すれば名古屋ー奈良は比較的簡単に行き来できることを今回体験した。また近いうちに訪れたいと思う(お寺と日本酒ツアー?)。それからあの明石家さんまが小学校時代を奈良で過ごしたことを地元の人から聞いた。
東大寺と興福寺
鹿と戯れる?
春鹿の酒蔵(今西清兵衛商店)
蔵の中で利き酒: もう一杯!
春鹿 冷やおろし
元興寺(がんごうじ)
2011.09.18 名古屋の小児科なごやか日記
9月18日(日) 奈良で「春鹿」を呑む
久々の連休で天気もよく家内と奈良に出かける。名鉄バスセンターから直通高速バスで約3時間足らずで近鉄奈良駅前に着く。連休なのに名古屋から乗り込んだ客はそれほど多くなく快適なバス旅行であった。まず本日の宿泊先で近鉄奈良駅のすぐ近くにある「春日ホテル」に入る。ここはそれほど規模は大きくないが、歴史は古い宿のようである。奈良に来てからわかったことだが、この日宿からそれほど遠くないところにある酒蔵「春鹿: はるしか」で「酒蔵祭り」が行われていた。ただ残念なことに、我々が奈良に着いたのが夕方近くでこの祭りはほぼ終了していた(明日訪れることにした)。春日ホテルの近くから興福寺あたりまでぶらぶらしてから宿に戻り、入浴後夕食となる。夕食は地元の素材を使ったおいしいもので、「大和牛」というこの地の牛肉もなかなかの味であった。春日ホテルに宿泊
宿で地元の酒を呑む(春鹿超辛口、豊祝)
2011.07.17 名古屋の小児科なごやか日記
7月17日(日) 台湾最終日:台湾大学を訪問
今日が台湾旅行最後の日。地下鉄(MRT)で「公館駅」から歩いて「国立台湾大学」を訪れる。この大学は日本統治下の1928年に「台北帝国大学」として開設されたとのことだ。戦前に立てられた古い校舎が今も使われており、日本の古い大学を思わせる懐かしい感じである。正門から奥の図書館と時計台までは椰子並木で、さすが南国台湾である。日曜日なので学生の姿はまばらであったが、この国の最高学府の重厚さを感じさせる。構内を歩いていたら地元の人に中国語で話しかけられた。中国語のできない私は何も返事できなかったのだが、どうやら台湾人と間違われたようだ。この大学の近くにある台湾茶を飲ませる喫茶店(茶芸館というらしい)にはいる。非常に多くのお茶のメニューがあった。この後ホテルに戻り、また旅行社の「レクサス」で空港まで送ってもらう。台北から中部国際空港(セントレア)について機内から出ると、暑さと湿気は台湾以上であった。改めて名古屋の蒸し暑さを認識する。今回の旅行で日本と台湾の歴史的、経済的、文化的関係を肌で感じることができた。日清戦争のあと(1895年より)台湾は日本に統治されたが、この時代に鉄道などインフも整備され今日の発展の基礎となっている。台湾は日本にとって植民地ではあったが、日本の政策は比較的現地に寛容であったようだ。治水などに功績のあった日本人技術者の墓に多くの地元の人々が花をそえたりしている。年配の人たち(80歳以上)の多くは日本語を話し、親日的なようだ。一方若い人たちはそのようなことはないが、日本の音楽やアニメは大好きなようだ。中国とはこれからいろいろな点で競合あるいは敵対する可能性のある日本は、親日的な台湾との交流を盛んにしていくことが必要ではないだろうか(もちろん日中友好も重要であるが)。また台湾ではどこへ行っても若者の比率が多いと感じた。こういった台湾の若者が日本に留学して、いろいろなことを学べるようになると理想的である(実際には欧米への留学が多いようだ)。
台湾大学の正門
大学の椰子並木
大学の図書館
大学の近くにある「茶芸館」
2011.07.16 名古屋の小児科なごやか日記
7月16日(土)台湾新幹線で台中へ
2007年1月に開業した台湾高速鉄路(台湾新幹線)は一度乗ってみたいと思っていた。台北で白いボディにオレンジのラインの入った新幹線に乗り込む。日本の新幹線が採用されたため、車内の雰囲気は日本のものと変わりない。走りも静かで快適で、1時間時弱で台湾第3の都市台中に到着。一般鉄道に乗り換えて数分で台中駅に着く。台中は人口約100万で、日本統治時代に整備されたとのことである。台北ほど近代的ではないが古い建物など趣のある市内を路線バスで回る。市の中央部にある「台中公園」を経て「寶覚寺(文字が少し違う)」を訪れる。1927年に開かれたこの寺には愛嬌のある巨大な大仏(1969年完成)があった。また日本人も含み戦死した人々の遺骨(1万4000柱)が収納されている。路線バスで台中駅を経て、新幹線で台北にもどる。
夕方台北に戻って地下鉄(MRT)で「士林:すーりん」という町に行く。台湾にはたくさんの「夜市」があり、ここで地元の人も安くておいしい食べ物を楽しんでいる。この「士林」の夜市は台湾で最大級ということで、多くの人々であふれて活気がある。私たちもその中の屋台の一つに入る。「小龍包:しょうろんぽう」など粉ものやえび、蟹などの海鮮までさまざまな食材があふれている。どれも一皿50元(150円弱)程度で非常に安い。果物も豊富でマンゴーなども計り売りされている。台北はどこでもそうだが若い人たちが多く、ここでも彼らのパワーに圧倒される。台北最後の夜を最も台湾らしい「夜市」で楽しんだ。
台湾新幹線(台中駅にて):開業以来大きな事故はおこしていないようだ。
台中駅: 1917年に竣工され、台湾で最も美しい駅舎とされている。
寶覚寺の大仏: 高さ30mという弥勒大仏 (誰かに似てるって!?)
果物の屋台:マンゴーなど種々の果物が売られている(値段は安い!)
2011.07.15 名古屋の小児科なごやか日記
7月15日(金)台北市内観光:中正祈念堂、故宮博物館
私たちも含め日本人観光客12名で台北市内の主な見所を、バスで見て回る。朝8:50にツアーのガイドの小柄な台湾人女性がホテルに迎えに来てくれた。まず「龍山寺」という古いお寺に行く。まだ早い時間帯なのに多くの地元の人たちがお供え物をしたり、熱心にお参りしている。若い人も多く来ていて、台湾では若者もかなり信心深いようである。「仏様」「観音様」のほかに中国風の「神様」にもお参りがされ、日本と同じいわゆる「神仏混交」である。このあと太平洋戦争後、中華民国国民党を率いて台湾を支配した蒋介石とその後継者の業績を記念する「中正記念堂」を訪れる。広大な敷地に大理石でできた本堂(メインホール)には、もともと軍人である蒋介石とともに歩んできた台湾の歴史を語る写真や絵画が数多く展示されている。また蒋介石の師匠にあたり「三民主義」を唱えた孫文の写真も多くみられた。台湾の人々が(一部の例外はあるとしても)蒋介石を慕い尊敬していることがうかがえる。蒋介石が吉田茂、佐藤栄作など日本の歴代首相と親しく写真におさまっている(この政権の誕生に日本が深く関わっていたことも知られている)。
このあと「台北の台所」とも呼ばれ、多くの食材のほかお茶、漢方薬などが所狭しと並べられている地区に行く。ここに日本人の好きな「からすみ」も売られていて、日本に比べれば値段も格安で日本酒好きな私はついつい買ってしまった。近くのアンバサダーホテルで飲茶を済ませたあと、「忠烈祠」を見学し「故宮博物館」に向かう。ここは世界4大博物館の一つともいわれ、中国歴代王朝の至宝が約65万点収蔵されているといわれる(展示は約3000点)。中国古代の石器や仏像、陶器、象牙、翡翠などのほか書画までとても今回のような限られた時間では見切れない。またいつかゆっくり訪れたいと思う。
夕方ホテルから歩いて数分のところにある台湾料理店に行く。「梅子餐慶(正式には慶ではないのだが)」という日本人が多く訪れるという魚介類の豊富な店に入る。従業員も日本語を話す人が多く、客の多くが日本人であった。この店の名物の「かにおこわ」を注文する。ボリュームある蟹で蟹味噌も豊富。その他「カキ入りオムレツ」など日本人の味覚に会う料理が多い。胃も心も満足してホテルに戻る。
中正祈念堂:「花蓮」で産出された大理石でできている
中央に蒋介石の像。左は人形ではなくて本物の兵士(1時間動かず立ったまま!)
中正祈念堂の庭とイベントホール。
右奥に見える黄色(褐色)の建物は台湾大学医学部附属病院
龍山寺:多くの参拝者と地元の小学生の遠足?
蟹おこわ:「おこわ」もニンニクがきいていて味わい深い
2011.07.14 名古屋の小児科なごやか日記
平成23年7月14日(木) 台湾旅行: 台北は日本(名古屋)ほど暑くなかった
例年のことだが7月14日から18日(休日含む)までクリニックの夏休みをいただいて、家内と台湾旅行に出かけた。これまでアジアは香港、シンガポール、タイなどを旅行してきたが台湾は一度行きたいと思っていたところだった。中部国際空港(セントレア)を午前中に離陸して約2時間半余りで台湾の桃園国際空港に着陸。「この時期の台湾は日本より暑いに違いない」と覚悟?してきたのだが、意外にも空港を出ると暑いことは暑いのだが(気温30度前後)湿気はそれほどでもない。空港から台北市内のホテルまでは旅行社の手配してくれた車で約40分くらいで到着。この車がトヨタのレクサスで非常に静かな走りで快適であった。台湾人の運転するレクサスにわれわれ日本人が乗るというのも不思議なシチュエーションである。私たちの泊まったのは台北市内のほぼ中心部にある「台北晶華酒店:リージェントホテル」というなかなかのホテルであった。昼過ぎにチェックインしてから地下鉄で観光をする(地下鉄料金は非常に安い。かなり長い距離でも50元と150円弱)。ホテルに近い「中山:ちゅうざん」駅から北へ40分くらいで「淡水:だんすい」という駅に着く。ここは台北市内を流れる「淡水河」が海(東シナ海)に流れ込むところで、地元の人々の観光(デート)スポットになっているようだ。ここは歴史の古い街で既に1600年代にスペイン人が建物(要塞)を築き、その後オランダ、イギリスなどとの交易などで栄えた港とのことである。街中にヨーロッツパ風の教会が多くみられるのも、そういう歴史によるものだろう。
台北は人口262万人の台湾の首都(台湾の人口は2300万)で規模は名古屋とほぼ同じくらいか。市の中心部はビルが立ち並び、地下鉄もきれいでスムースに運行され日本の都市と変わらない。ただ路地を少し入ると日本の昭和30年代のような建物と光景がみられ、この時代を少年期に過ごした私としては懐かしく感じた。明日は台北の市内観光(ツアー)の予定である。
※注 台湾(中華民国)の憲法上の首都は「南京」となっている。
台北の地下鉄(MRT):1区間 20元(約60円弱)と安い
「淡水」河口から対岸にそびえる「観音山」をみる(海抜612m)。
日本統治時代には「淡水富士」と呼ばれた。
「淡水」にあったおしゃれなカフェ
「淡水」にある歴史あるキリスト教会(カソリック)
宿泊した「台北晶華酒店:リージェントホテル」
ホテル近くにあった台湾出身の歌姫「テレサ・テン」の写真の前で
2011.06.15 名古屋の小児科なごやか日記
平成23年6月15日 子宮頸癌ワクチン(サーバリックス)の再開
子宮頸癌ワクチンが今年より名古屋市では全額公費負担(実費だと1回18000円くらい)となり、市内の中学1年から高校1年生の女子生徒(希望者)に接種(3回接種)できるようになった。ところがこのワクチンの供給が需要に追いつかず、しばらくは接種は休止状態であった。最近になって供給量が増加し(英国グラクソ社)、再開のめどがたった。高校1年生の女子生徒が希望しても接種できなかったことも踏まえ、名古屋市からは現在高校2年生となった女子生徒から開始するという連絡があった。現在学校を通じてこの案内が送られているようだ。私共クリニックでも予約があれば、それに応じられる体制をとっている。ただ子宮頸癌はワクチンだけで完全に予防できるわけではないので、成人してからも癌検診を受ける必要性は変わらない。20代から30台の女性の癌では比率が高い子宮頸癌の対応策が一つでも増えたことは喜ばしいことである。
子宮頸癌ワクチン(サーバリックス、グラクソ社)計3回接種(筋肉注射)
2011.06.09 名古屋の小児科なごやか日記
平成23年6月9日(木) 開院5周年記念コンサート
この5月でクリニックを開院して5周年となった。これを記念して名古屋・新栄にある「葵モノリス」で記念コンサートを開催した。午後6時半よりのこの会には私共クリニックのスタッフをはじめ縁のある方々に出席していただき、総勢65名で音楽と食事を楽しんでいただいた。このブログにたびたび登場する「かとうえいこ」さんがシャンソン(バラ色の人生、神の思いのままに、愛の讃歌など)を朗々と歌い上げる。大震災のあとのこの時期だけに、「再び息づく命を歌おう」と題したこのコンサートで命の大切さ、愛、希望などがより深く感じられた気がする。この日客として来てくれたJazz歌手の「榊原ようこ」さんが飛び入りとして2曲歌ってくれた。
2時間あまりの会であったが、多くの方々から祝辞やお祝いをいただいた。クリニックをスタッフとともに更に充実させ、次は10周年記念ができるようになりたいものである。そのためには私のメタボをこれ以上進行させないようにしたいのだが・・・。
挨拶をする院長
シャンソンを歌う「かとうえいこ」さん
テーブルを回る「かとうえいこ」さん
「榊原ようこ」ちゃん。飛び入りでジャズを歌ってくれた。
会場風景
会場の「葵モノリス}
2011.03.03 名古屋の小児科なごやか日記
平成23年 3月3日(木) ひなまつり
この日の午前、クリニック待合室で「ひな祭り会」を行った。約14組の親子が参加され、賑やかに楽しいひと時を過ごした。保育士の若園(鞆)さんが「紙芝居」と歌を、事務の加藤さんも手伝い手遊びや、紙コップを利用した工作を行った。この「ひな祭り」はクリニックとして今回で4回目となるが、子ども達の楽しそうな顔を見るのは、私共スタッフにとっても嬉しいことである。
紙芝居「のはらのひなまつり」
皆で歌をうたうと・・・冬眠していた動物やお花が目を覚ましました。
参加してくださった皆と一緒に集合写真
2011.01.06 名古屋の小児科なごやか日記
平成23年1月6日(木) 予防接種元年-ワクチン行政の転換-
新年あけましておめでとうございます。昨年は国内・外でいろいろな事がありましたが、今年はぜひ政治、経済の面でもより良い年になってほしいのもです。昨年の医療の分野での変化のひとつに「予防接種の充実」があります。「日本の予防接種の体制が欧米・先進国に比べて遅れている」ことは多くの皆様がご存知のことと思います。これは過去、予防接種の副作用(副反応)の責任をめぐって国に対する訴訟などがあったことなどが原因のひとつになっているかと思います。
このように萎縮した日本のワクチン行政が方向転換し、今年度新しくなる可能性があります。
2010.12.23 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年12月23日(木) クリスマス in ランの館
このブログにたびたび登場する「かとうえいこ」さんだが、名古屋の若宮大通と久屋大通の交差店近くにある「ランの館」でクリスマスコンサート(名古屋開府400年祭)が行われたので報告する。入館料700円を払って館内にはいるとランの花が咲き乱れている。中央のアトリウムが会場になっていて、既に観客であふれている。「かとうえいこ」さんが好きなシャンソン歌手のリシェンヌ・ドリールの曲をはじめ、数々のシャンソンが歌われる。今回はシャンソンだけでなく日本人の歌、山下達郎の「クリスマスイブ」、喜納昌吉の「花」なども披露された。さだまさしの「風に立つライオン」はアフリカで働くある医師の実話(手紙)を基にした歌であり、感動的な曲であった。
ランの館 クリスマスイベントの案内
ステージの「かとうえいこ」さん
客席はほぼ満杯
ランのクリスマスツリー
「かとうえいこ」さんとともに
ランの館入り口
2010.10.30 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年 10月30日(土) 榊原洋子 New Album 発売記念コンサート
今月もまた音楽の話題。私の友人でもある榊原洋子(といっても年齢は私の娘くらい)が名古屋の中電(中部電力)ホールでコンサートを開いた。彼女の新しいアルバム「LUC(ルーク)」の発売を記念したコンサートで、カナダのピアニストのポール・シュロフとの共演である。家内や友人と出かけたこのホールは初めてであるが、企業のホールとはいっても規模も大きくしっかりしたもので、この日の観客は300人以上と思われる。曲はジャズのスタンダードから彼女が作曲したものまで全部で14曲。曲は英語で歌われるが、自作の「悲しみの・・・」は日本語で歌われた。彼女の声量は日本人離れしたものであるが、この「悲しみの・・・」のようにしっとりとした曲も魅力的である。このCDはモントリオールで録音され、彼女の2作目のCDとなる(1作目は A house is not a home :2006)。
中電ホールでは写真撮影できなかったため、コンサートのパンフレットを載せさせてもらう。ところで洋子ちゃんは12月25日(土) なごやかこどもクリニックのクリスマス会で歌ってくれる予定である。
榊原洋子のホームページはこちら>>
| CD発売(8月12日)の案内 |
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発売記念コンサート 東京、京都、浜松、名古屋 |
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2010.09.30 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年9月30日(木) かとうえい子 リサイタル
このところブログの更新ができていなかった。そこで少し前の話題になるが、私の長年の友人であるシャンソン歌手の「かとうえい子」さんの25周年記念リサイタルについて報告?する。名古屋市芸術創造センター(芸創センター)で開催されたこのリサイタルに家内、妹などと聞きにいった。会場はほぼ満席で、300人は越えるのではないかと思われた。「女歌手は20歳」という若々しい曲がスタートで、「バラ色の人生」「愛の賛歌」といった有名な曲から、あまり一般には知られていない「もしもあなたに逢えずにいたら」「神の思いのままに」といった曲まで前半で10曲、後半でも10曲のシャンソンを歌いあげた。彼女と最初に会ったころ(20年近く前)はまだ若手の歌手であったが、今や堂々たるシャンソニエといってもいいだろう(といっても年齢は私よりもかなり若いですよ)。「かとうえい子」さん は吹上にある「エルム」という店(カフェコンセール)に出演している(月に1-2回)。また多くの教室(ヤマハ、個人レッスンなど)でシャンソンを教えている。その生徒さんたちの中からアマチュアコンクールで全国優勝 したり、プロを目指す人たちが出てきている。12月23日 ( 木 ) には中区にある「ランの館」のクリスマススペシャルコンサートに出演予定(PM6時より)である。シャンソンなどに興味のある方には是非お勧めしたい。
かとうえい子 リサイタル
お祝いの花を贈らせてもらいました
芸創センター内部:ほぼ満席状態
2010.09.20 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年9月20日(月): 真福寺(しんぷくじ)の竹膳料理
今日は敬老の日ということもあって私たち夫婦と家内の母と3人で岡崎市にある真福寺を訪れる。岡崎出身の家内はこの寺には子どものころ一度来たということだが、私は初めてである。このお寺は地元では「竹の子寺」と呼ばれ、年中竹膳料理が食べられることで親しまれている。岡崎の中心部より国道248号で北に行き、「岩津天神」よりさらに北東の山沿いにこの寺はある。天台宗に属するこの寺の歴史は古く、推古天皇2年(594年)に物部一族の物部真福の発願により建立されたもので、聖徳太子による建立という伝説もあるようだ。昼すぎに訪れて、岡崎の山が見渡せる部屋で早速竹膳料理をいただく。旬の時期とはずれていたためか、人もまばらで静かななかで竹の子のさしみや、てんぷら、竹の子ごはんなどを楽しむ。コースにより刺身や鮎なども出される。久しぶりに竹の子を存分に味わったあと境内を散歩する。この寺のご本尊の薬師如来はその姿を水中から現したことが縁起となり(水体薬師)、その水が病気治癒のご利益があるとされている。特に眼病に効くとされ、この水が目薬として今でも販売されているようである。また1151年の火事の際に、白鳳時代に作成されたと伝わる仏頭も消失をのがれて安置されている(重要文化財)。
「竹の子料理を食べたい」という単純な発想から訪れた寺であったが、意外に古いこの寺の歴史に興味を覚えた。岡崎という街はその歴史からしてお寺や史跡などが多いことはある意味当然であるが、その中でもこの真福寺は別格といえるであろう。
仁王門 1410年に消失し後、1494年に再興された
参道
多宝塔 :室町時代に建立され、釈迦如来、多宝如来の二仏が安置されてい る。
大師堂: 鎌倉時代中期(1274年)に建立され(重要文化財)、本尊が 祭られている。歴代徳川将軍の位牌も安置されている。
竹膳料理(鮎と刺身は追加注文)
2010.07.18 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年7月18日(日) 鞆の浦と坂本龍馬
朝ホテルを出て尾道市内を歩く。まず「おのみち映画資料館」を訪れる。この街はいくつかの映画の舞台となっているが、その中でも有名なのは小津安二郎監督の「東京物語」であろう。尾道に住む老夫婦が東京の息子夫婦を訪れるというストーリーであるが、東京の各地と尾道の街が映し出される。海に面して坂の多い尾道の昔の町並みが、のんびりとした古きよき日本を思わせる。また広島出身で社会派といわれる進藤兼人監督の映画の資料や写真が展示されていた。奥さんである乙羽信子が多く主演女優をしているが、進藤監督が広島出身であることは知らなかった。この街には歴史のあるお寺(千光寺など)も多く、志賀直哉や林芙美子など文学者ともゆかりがあるのだが、今回は時間の関係で訪れることができなかった。午後船で尾道港を出る。「尾道―鞆の浦 海上クルージング」という約1時間弱の鞆港までの船旅で美しい瀬戸内海の風景を楽しむ。鞆の浦は万葉集にも詠まれる日本最古の港で、鎌倉・室町時代から江戸時代にかけて大いに栄えた当時としては大都市であった。港は意外に小規模だが、この港のシンボルである「常夜燈」が美しい。この港町を歩くと古い家や店舗がそのまま残っており、まるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。当然のことながら路は狭く、坂道が多い。地元の人に案内してもらい、坂道を登ったところにある「鞆の浦歴史民俗資料館」に行く。ここは昔「鞆城」のあった後ということで、ここから鞆の街と港が見渡せる。江戸時代には多くの船が行きかい、朝鮮通信使が江戸へ向かう途中この港に立ち寄り、対潮楼(福禅寺)で瀬戸内海のすばらしい眺めを楽しんだとのことである(我々は時間の関係で訪れることができなかったが)。
港に面した古い蔵を利用した「いろは丸展示館」を訪れる。坂本龍馬が西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗り込んで長崎から大坂へ向かう途中、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し、「いろは丸」は鞆港沖で沈没した(1867年4月)。龍馬は鞆の浦にとどまり紀州藩と損害賠償の交渉を行う。近年地元の調査グループが潜水調査を行い、いろは丸の部品や陶器類が引き上げられた。これらの物品がここに展示されていて、なかには古伊万里のぐい呑みなどもある(龍馬がこれで酒を飲み交わしたのだろうか)。その龍馬はこのわずか半年後京都で暗殺されることになる。短時間であるが「鞆の浦」の風景、歴史を楽しんだあとバスで福山駅へ向かう。福山から新幹線で名古屋に戻る。
今回の旅では私がこれまで訪れることが少なかった四国、山陽を歩くことができた。道後温泉に入れたのが最大の収穫であったが、聖徳太子、坂本龍馬、夏目漱石といった人物ゆかりの地をめぐる歴史の旅でもあった。鞆の浦はまた一度ゆっくり訪れたいところである。この間クリニックを休ませていただき患者さんにはご不便をおかけしましたことを、この場をかりてお詫びいたします。
尾道駅
おのみち映画資料館
林芙美子像
鞆の浦港の常夜燈
歴史民族資料館(鞆城あと)から街を見渡す
保命酒屋(太田家): ここで荷物を預かってもらった
2010.07.17 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年7月17日(土) 「しまなみ海道」を渡る
朝宿を出て松山の町を散歩する。市内の移動には路面電車が便利だが、運よく「坊ちゃん電車」に乗ることができた。まず市内の勝山山頂(海抜132m)にある「松山城」を訪れる。四国最大の平山城であるが、ロープウェイかリフトで登る(こういう経験は初めてである)ことになる。この城は1602年加藤嘉明が築城に着手し、25年の歳月をかけて1627年に完成したとのことである。1635年松平定行が藩主となり、松山藩は徳川家の親藩として発展する。二の丸、三の丸のあったところは現在公園として整備されている。「春や昔 十五万石の 城下哉」と子規が詠んでいる。ここで面白いことに気づいた。松山城は歴史的には1610年に築城された名古屋城に近く、藩の規模としては岡崎城の3倍くらい(岡崎は5万石)。名古屋(尾張)は徳川御三家の一つ(筆頭)であり、松山と岡崎は親藩(松平家)である。城を降りて「坂の上の雲ミュージアム」を訪れる。テレビドラマでも知られるようになった松山出身の秋山兄弟、正岡子規の生涯を描いた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を展示、紹介している。この後松山兄弟の生誕地にも立ち寄ってみた。明治に生きた彼らの志をうかがい知ることができた。午前中松山市内を見て歩き、昼過ぎに松山から今治へJR特急「しおかぜ」移動する(約40分)。今治から高速バス(しおなみライナー)で瀬戸内海を渡る。まず全長4.1kmと巨大な三連吊橋で美しい「来島海峡大橋」を通って大島、伯方島、大三島を通過、「多々羅大橋」を経て生口島、因島を通過、「因島大橋」を経て向島に入りここから「尾道大橋」を通って尾道市に入る。あいにく天気が悪かったが、晴れた日だったらこれらの橋と瀬戸内海の海がさらに美しかったであろう。愛媛県の今治市と広島県の尾道市を7つの橋で結ぶこの「しまなみ海道」はそのスケールも美しさも想像以上のものであった。四国と山陽を結ぶ3つのルートはよく「ムダ」といわれるが、それにしてもよくこれだけのものを作ったものだと思う。 尾道は瀬戸内海に面した歴史のある商業都市であるが、いろいろな映画の舞台にもなっていて「映画の町」とも呼ばれている。映画好きの私たちとしてはぜひ訪れたい町であった。
今日は尾道市内のホテルにとまり、明日はいろいろと見て回る予定である。
道後温泉の足湯
松山市内を走る「坊ちゃん電車」
優雅な姿の松山城
「坂の上の雲」の秋山兄弟と正岡子規。隣りは坂の下の狸と狐??
松山駅: 昔ながらのレトロな感じがいい(最近どの駅もモダンだが画一的
になってしまった)。
松山発の特急「しおかぜ」の天井:おなじみのアンパンマンたち
高速バス「しまなみ」で「しまなみ海道」をゆく
因島大橋を渡ると向島、尾道へ。
2010.07.16 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年 7月16日(金) 小雨ふる道後温泉
朝グランドエクシブ「鳴門」を出て鳴門駅からJRで徳島駅へ。徳島駅から高速バス(吉野川エクスプレス)で3時間余りで松山市内にはいる。道後温泉の近くにある旅館「ふなや」にまずはいり、小雨の中宿で傘をかりて道後温泉へ。松山は以前きたことがあるが道後温泉は今回が初めてだ。歩いてすぐ重要文化財にもなっている「道後温泉本館」へ。3000年以上の歴史を持つといわれるこの温泉(伊予の温泉)には聖徳太子も訪れたとの記録がある。本館の屋根の上にはこの温泉の発見の由来といわれる「白鷺」の羽ばたく像がある。明治27年に建造されたこの本館の神の湯と霊の湯と2種類ある湯のうち私達は神の湯に入る。浴槽はコンクリート造りで質素なものだが、夏目漱石も入浴したと思うと感慨もひとしおだ。規模と歴史は国内最大級のものだが、その雰囲気は私が子供のころ通った銭湯を思い出させる(実際に銭湯スタイルである)。またここには皇室専用の浴室(又新殿)が有り、入浴後見学をした(全国にここだけとのこと)。昭和25年に昭和天皇が使われたのが最後であるようだ(専用トイレまであるが、使用されなかった)。
念願であった道後温泉に入ったあと、本日の宿「ふなや」に歩いてもどる。創業370年余りというこの老舗旅館は改装され(1993年)、現在は近代的な旅館となっている。約1500坪といわれる日本庭園は、庭というより森林といったほうがよさそうだ。昭和25年以降は天皇や皇族の方々はこの旅館に泊まられるようだ。瀬戸内海の魚介類を中心とした京風の会席料理を楽しんだあと、歴史あるこの地で眠りにつく。
「にわか雨 傘かりてゆく 道後の湯 隆」
鳴門駅を出発(徳島駅へ)。駅の近くに「うずしお眼科」というクリニッ
クがあった。鳴門らしいが、なんだか目が回りそう(失礼!)
道後温泉本館。中央後方の楼の上に白鷺の像がみえる。
本日の宿「ふなや」の玄関
「ふなや」の夕食
道後温泉の時計台。 「坊ちゃん」のマドンナ、赤シャツなどが登場する
(もちろん坊ちゃんも)
2010.07.15 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年7月15日(木) 鳴門の渦潮
今年も少しはやめの夏休みをとって家内と四国―山陽のたびに出る。新幹線で新神戸まで行き高速バスで淡路島を経て鳴門に向かう。「明石海峡大橋」を渡って淡路島を突き抜けるようにして「大鳴門橋」にいたる。この橋の途中左手(東)に激しい「渦潮」が見える。昨日までは大雨で四国でも土砂崩れなどがあり天候については不安があったが、この日はまあまあの天気であった。バス停「高速鳴門」で降りると、すぐ近くに本日の宿泊先の「グランドエクシブ鳴門」の送迎バスが付いていた。このバスで約20分海岸線を走ってホテルに着く。ゴルフコースを持つこのリゾートホテルは広大で、入り口の門から宿泊棟まで数分バスで走る。欧米ではこれくらいの規模のホテルを経験したことがあるが、日本では初めてである。
エクシブXIV系のホテル(リゾートトラスト株)を利用するのは今回が初めてで、担当者がスウィートルームを用意してくれていた。さすがにこのヨーロッパ調の部屋はシャンデリアなど豪華で、広さも十分で二人で泊まるのはもったいない程である(4,5人でも泊まれそう)。温泉(スパ)は別の建物にあり、シャトルバスで移動する。このホテルは海岸に面した山側の高台にあるので、このスパより海(瀬戸内海)が見渡せる。短時間ではあるが、まさに王侯貴族?の気分である。普段高めの血圧も少し下がったような気がした(願望)。
このあと夕食となる。いろいろなコースがあるが、日本酒を味わいたく和食(懐石)にする。味もよく上品で洗練された料理で、料亭並みである。地元の日本酒を頼んでみたが、残念ながらこれといえるほどのものではなかった(徳島にもいいお酒はあると思うのだが)。それにしてもこの日はリラックスして床に付く。
グランドエクシブ 鳴門
ホテル玄関からの眺め
スウィートルーム
夕食: 繊細な和食(懐石料理)を堪能する
2010.07.01 名古屋の小児科なごやか日記
平成22年6月25日(金) 居酒屋:千酔漢(せんすいかん)
このところこのブログも固い内容が続いてしまったので、少し柔らかい話題を。名古屋の地下鉄名城線「久屋大通」駅近く「東急ハンズ」より錦に近い所に一風変わった名前の居酒屋がある。「千酔漢:せんすいかん」というのは「酔っ払いのおやじがたくさん集まる」といった意味だろうと勝手に解釈している。この店に最初に来たのは正確には覚えてないが、平成3年ころではないかと思う。ということは、かれこれ20年近く通っていることになる(この店ができて約30年というだ)。カウンターに数人、囲炉裏を囲んで5-6人というこじんまりした店(2階にも座敷があるが)で、昔ながらの居酒屋という雰囲気が気に入っている。
おつまみ類はごく平凡だが、この店のすごいところは質の高い日本酒(吟醸酒)がずらりと並んでいることである。愛知県を代表する「蓬莱泉」「義侠」「醸し人・九平次」をはじめ「十四代:山形」「磯自慢:静岡」「黒龍:福井」など私の好きな吟醸酒がそろっている。また吟醸酒の最高峰といってもいい「獺祭(だっさい):山口」がおいてあるのは感激である。高級料亭ではない居酒屋でこれだけの日本酒を揃えてあるところは名古屋でもそれほど多くないだろう。
金曜日の夜、夜間外来のあと(PM9時ころ)ふらっとこの店に立ち寄ることが多い。この店の大将や女将さんたちとも長い付き合いで、いつも気楽に呑ませてもらっている。昔の看板やアンテイークなどに囲まれて呑んでいると、暖かくで心地よくなるのは私だけではないであろう。
「1000酔漢」の入り口
「醸し人 九平次」 名古屋 ( 緑区 ) の酒。ここ数年で名古屋から頭角をあらわし全国的にも評価されている。
「蓬莱泉 空」愛知県奥三河の酒(関谷酒造) 愛知県を代表する吟醸酒として「空」「美」「朋」などがある。
「義侠」愛知県佐屋郡のお酒。酒米の「山田錦」を厳選する蔵で、日本酒らしいしっかりとした味わいは長く地元の酒飲みに愛されている。
この店の酒ケース。手に入りにくい酒がところ狭しと並べられている。これらのお酒の顔ぶれを見るとたいていの日本酒好きは感動する。このケースの前のカウンター席が私の指定席である。先に紹介した愛知県の3種の名酒のほか「十四代」「磯自慢」「黒龍」などが並んでいる。
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