なごやかこどもクリニックの過去のブログ

2008.05.17更新

なつかしの弘前

学会2日目。朝8時より昨日のM教授が座長の一人として「遺伝子異常による甲状腺疾患」というシンポジウムが開催された。昨日遅くまで呑んでいた私も何とかギリギリで間に合う。O先生が「SITSHをきたす遺伝子異常」について、P教授が「Pendred syndrome」について講演される(またもや専門的用語ですみません)。P教授はドイツ人だが非常にきれいでわかりやすい英語だ。2題ともに最新の研究の情報が満載されている。昼のランチョンセミナー(昼食をとりながら講演を聴く)では「増田恵子さんと語る:甲状腺機能亢進症との付き合い方」に参加。「増田恵子」といえばあのピンクレデイの「ケイちゃん」で、私たちの世代には懐かしい人である(といっても彼女はまだ現役で活躍中だが)。会場の前の方の席がとれたので、かなり近くから彼女を見ることができた! 昔よりも年はとっているものの(失礼)、華奢で美しい人である。彼女がバセドウ病を発症して、10年以上内服治療(メルカゾール)をしていることを初めて知った。何回も再発(再燃)を繰り返しながらも、仕事にも治療にも前向きに取り組んでいるのが印象的であった。それにしても彼女の主治医は誰だろうか?診察とはいえ、おそらく月に一回くらいは彼女と会うことになるのだから羨ましい限りだ。

午後の会長講演を聴いた後、弘前(ひろさき)へ移動。青森から列車で約30分で弘前に着く。弘前駅は立派なビルに変わり昔の面影はほとんどない。昔は小さな駅舎とその周りにリンゴ箱を置いたお土産店がいくつかあって、いかにも「みちのく」といった風情であったのが懐かしい。それにしてもこのところ新たに建て替えられる駅が立派ではあるが、その地方独特の個性がなくなってしまったのはなぜだろうか(松本駅も往年の風情がなくなってしまった)。駅のすぐ近くにあるホテルにチェックインして、タクシーで弘前城へ。さすがにこの城は約30年前とほとんど変わりない。100年経っても200年経っても変わらないものがあるというのは本当にいいものだ。学生時代この城内を一人で歩いたり、桜の季節は仲間と花見をしたことなど懐かしく思い出される(弘前の桜はその質と量において日本一と思う)。この城を中心に数多くの寺が散在し、伝統工芸など昔からの津軽藩以来の文化が引き継がれている。弘前のidentityは弘前城といっていいだろう。弘前城がなければ弘前はただのリンゴの町になってしまう。

夕方まで時間があったので弘前大学のキャンパス(医学部ではなく教養課程のある本学)に行ってみた。ここへは昭和54年の卒業以来29年ぶりに来た。門構えが立派になり、建物も増えていたがあの頃と大きな変わりはなさそう。この大学はなぜか正門の向かいに2,3軒の居酒屋があり、友人とちょくちょく通ったものだ(もちろん20歳を過ぎてからですよ)。そのうちの一軒はおばあちゃんが一人でやっていた店だが、建物はまだ残っていた。隣の店で聞くとこの数年は開いていないとのこと(あのおばあちゃんは亡くなったのだろうか、合掌)。ここから歩いて10分くらいの富士見町というところで5年間下宿生活をした。「葛西下宿」のおばさんが亡くなってもう長くなるので、すでに閉めているかと思いつつ昔の記憶をたどり歩いたところこの下宿を発見! しかも玄関の脇には下宿人のものと思われる自転車が数台置かれ、今も下宿としてやっているようだ。玄関を開けて声をかけても誰もいないようだ。それにしても、このあたりはまだ安全な地区のようだ。写真だけ撮って弘前の中心部に出る。

「土手町」にはデパートなどがあり買い物客などが多く、隣の「鍛治町」は飲食街となっている。規模は小さいが名古屋で言うと「栄」と「錦」といった感じか。「鍛治町」を少し歩くとかつての記憶がよみがえってきた。新しい店も多いが、昔ながらの店(和食系)もちらほら。その中で、昔時々行った焼き鳥屋があったので飛び込む。店内は以前とほとんど変わらず、黙々と鳥を焼く親父さんもあの時と同一人物と思われる。約30年前にタイムスリップしたようで、酒がおいしい(これはいつものことか)。この店は院長おすすめにいれておこう。弘前に行かれる予定で日本酒の好きな方は、
とり畔(はん):弘前市鍛治町丸み小路TEL0172-35-1237へ一度お運びを

投稿者: なごやかこどもクリニック